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対談

公衆衛生の観点から、新型コロナ禍の今、記憶し、記録すべきこととは
高橋謙造×真山仁 対談01

真山 仁

2020年8月、公衆衛生の専門家である帝京大学大学院公衆衛生学研究科の高橋謙造教授と真山仁が、新型コロナウイルス感染への国内外の対応や、今後を見据えてとるべき対策について、「安全保障としての公衆衛生」を視点に対談しました。その内容を全4回にわたり抄録します。【対談は8月12日に実施。内容の一部は「朝日新聞」8月22日付「真山仁のPerspectives:視線 16:公衆衛生 新型コロナ〜政治と科学」に掲載されました】

真山 世界中に蔓延した新型コロナウイルスの感染拡大が、今なお止まらずにいます。
まず、日本の感染対策については万全だったとお考えですか?

高橋 今回、日本の感染対策は全くの無策でした。公的には、昨年末中国で発見されたという情報が入ったあと、1月下旬の春節の時期まで、はっきりとした対応をせずにいましたから、初動も遅れています。

本来はあの段階で、中国からの渡航をある程度、ブロックすべきでした。経済的な状況から言って、それは無茶だという話になったかもしれませんが、少なくとも議論はしておくべきでした。

真山 隣国ですから、マスクを送るなど支援する姿勢は見せつつも、一方で誰も入国させないようにして防御するのが、本来の外交の在り方だと思います。
習近平(国家主席)の来日予定があるからなど言われていましたが、「申し訳ないけど、中国からの飛行機も船も絶対に入れられません」と毅然とするのが、政治家の勇気だったのでは。

高橋 実際、台湾はそのように行い、一応成功しています。同じ島国として、周辺の国・地域を見倣うべきでした。

真山 その一方で、「水際作戦は、最初の一波を食い止めて医療体制を整える意味はあるけれど、結果的に決して有効ではない」という意見もあります。
渡航を止めるのと水際作戦とは、違うのですか?

高橋 違います。渡航を受け入れたうえで、空港などで発熱の状態などをチェックして、入国の可不可の判断等の対処をするのが水際作戦です。
2009年に感染確認された、前回の新型インフルエンザの時にそれがうまくいかず、ある程度の感染者が入ってしまったのははっきりしています。だから、なぜ今回、また水際作戦で対応するのかな、とは思っていましたね。
渡航停止は、そもそも来るなという話ですから、政治がやらなければいけません。

1月24日には、香港の研究者たちが、まだ当時は新型肺炎と呼ばれていた新型コロナウイルスに関して、イギリスの「ランセット」という権威あるジャーナルに論文を出稿しています。世界中の査読を経た上で掲載されたものであり、そのときすでに、〈無症状の人が感染を起こしている〉と書かれています。

それを読んだ私は周りの者たちと、もしかしたら、もう日本に持ち込んだ人がいるかもしれないと議論し始めていました。

公衆衛生=安全保障という認識が必要

真山 「公衆衛生」は、ある意味では「安全保障」です。厚生労働省的な立場で考えれば、国民の生命を守るために、健康管理や衛生状態を良くするだけではなく、安全保障という認識で〈外敵〉に対して敏感でなければいけない。厚労省の人たちにそういう認識はありますか?

高橋 残念ながら、慢心があるというか、公衆衛生は安全保障だという意識は、とても貧弱だと思います。
医系技官など感染症対策担当の職員が情報収集など行っていますが、組織として、新しい事態にフレキシブルについていくことが難しい。いわゆる役所の体制というか、硬直化している。

真山 医療体制も整った清潔な国で暮らしていれば、感染症などたいしたことはない。一番怖いのは、高血圧や糖尿病など、すぐに死なないが一度罹患すると手が掛かる生活習慣病だというのが、現代の一般的な日本人の感覚だったと思います。厚労省も、感染症より生活習慣病の方に重きが置かれていたのではないですか?

高橋 どこに重きが置かれていたのか、判断はすごく難しい。厚労省はビックカンパニーなので、各部署ばらばらなのです。私が以前、医系技官として所属していたときも、中央に意思を集中し、まとめるためにどうするべきかが曖昧でした。つまり、一大事があったときに、中央集権的なリーダーシップを発揮しづらい組織なのです。かつての舛添厚労大臣が指摘した通りです。
厚生省と労働省が合併して、その傾向は強まったのかもしれません。

新型インフルの教訓は活かされたか

真山 2009年に新型インフルエンザが世界中に感染拡大して大騒ぎになり、日本でも2000万人以上が感染して法律も作ったが、結果的に国内の死亡者数は200人程度でした。あれは、今回の予行演習ではなかったかと指摘する声がかなりあります。

2011年には今の事態を予言したような映画『コンテイジョン』が公開され、NHKでも、新型インフルの恐怖を煽るような番組が複数制作されました。
国立感染症研究所は「組織も人材も育ていかなければいけない」と国に対する提言をまとめています。

にもかかわらず、今回の状況を見ている限りでは、我々は学習したことを活かせたとは思えません。組織や人材を、もっとちゃんと作って育ててきていれば、何が出来たのでしょうか。

高橋 恐らく、理想で言えば台湾みたいな状況で抑えることができ、日本国内は数百人の感染で済んでいたと思います。

真山 現代社会においては、新型インフルエンザをはじめ様々なウイルスが、常に飛行機を経由して世界中に飛んでいます。一般人の感覚でも、「何かあったときに本当に大丈夫なのか?」という不安が消えません。
国家を統治する政治家や官僚の立場では、「対策は徹底しています」と言えるようにすべきですが、どうもそうなっていなかったという印象があります。

高橋 新たな感染症に関して、どのような体制を持って動くのかについては、全く準備されていなかったでしょうね。

真山 だから出だしも遅かった。このまま、国民が自粛を守ったことと、なぜか日本人はあまり死に至らないという状態が続いて、次第に収束するかもしれませんが、結果的に国は、何もしていません。
もしかしたら次は、東アジア人や日本人だけが死に至りやすいウイルスが出てくるかもしれない。そのとき、自分たちはこの前も大丈夫だったから次もなんとなく平気じゃないか、と言っているようではダメだと思うのですが。

高橋 そうですね、でも逆に国も日本国民も、ジカ熱やデング熱のときのように、なぜか最悪の流行にならなかったことで、「自分たちは大丈夫だ。」と〈誤学習〉をしてしまっているのかな、と感じます。「日本には〈神風〉が吹くから、結局大丈夫なんだよ、放っておいても」という誤った学習を。

真山 国民はともかく、国がそれではダメですよね。

高橋 そもそも公衆衛生は、うまくいって当たり前なのです。予防を基礎にしているので、予防ができていて当然、何も起こっていない状況が平常で大成功。何か問題が起こったら責められる。
本来「何も起こっていない」こと自体が評価されるべきなのに、何も起こっていないために、水面下でどれだけあがいているかが見えず、認識されていない。

財務省との予算折衝のときも、「新型インフルエンザに関して、まだまだ徹底した対策が必要とするWHOを日本もサポートしましょう」と折衝案に盛り込んだら、「もう鳥インフルエンザはいいでしょう、新しいネタはないんですか? でないと、我々も主計官に説明できない」と言われて愕然としました。

真山 確率論的に見ればいつ起きるかわからないことに、お金は使わない、使う余裕がないという思想が国や財務省にあり、それがスタンスになっています。

日本はどちらかというと、起きて欲しくないことは見えないことにする風潮が強いですが、今回のコロナをきっかけに、起きて欲しくないことが起きる可能性はゼロではないんだと、もっと多くの人が理解して、そのうえで、国の対策にも目を光らせていかなくてはなりませんね。
(次回へつづく 全4回)


高橋 謙造(たかはし けんぞう)
帝京大学大学院 公衆衛生学研究科教授
東京大学医学部医学科卒、小児科医、国際保健学修士、医学博士。専門分野は、国際地域保健学、母子保健学、感染症学。

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