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コラム

キルゾーン〜城は何のためにあるのか 第9回−3
防御施設はどう配置されているのか ③石垣

日野 真太郎

今回は、石垣について説明します。例えば大野城(福岡県太宰府市・大野城市)のような、飛鳥時代の城にも石垣はありますが、近代城郭で見られる石垣とは連続性はありません。近代城郭で見られる石垣は、滋賀県大津市の穴太地区等の石積み技術が織田信長に採用され、それが織田・豊臣政権による天下統一事業や、徳川政権による天下普請の過程で各地に伝播していったようです。また、一般的に石垣は、適した石が取れやすい西日本で多く見られ、東日本には少ないとされますが、現存する東日本の近代城郭は石垣が多く、私自身はあまりそのような肌感覚は持っていません。

石垣を築く労力は、土塁に比べると相当大きいはずです。それでもわざわざ石垣を築くのは、主に土木的な理由からだと思われます。つまり、人工の盛り土である土塁では、いくら踏み固めても雨水によって崩落する危険性があり、これを防ぐ土留機能として、石垣が用いられたと考えられます。また、崩落の危険性のある土塁の上に建物を作るのは難しいですが、石垣=崩落しにくい土塁=ができることで、その上に恒久的な構造物(塀、櫓、天守等)を作り、防御力を高めることができます。加えて、石垣築造技術が進歩するに伴い、土留のない土塁では到底作れないような高さの石垣を築くことができるようにもなりました。

一方で、石垣は見栄えをよくして力を誇示する目的で作られると説明されることもあります。確かに、水口岡山城(滋賀県甲賀市)などの山城では、麓から見える部分に立派な石垣を設けている例もあります。

水口岡山城の石垣(2012年9月)

また、上田城(長野県上田市)の真田石のように、大手門の横に巨石を積んでいることもあります。

ですから、権勢誇示が石垣の一つの目的であったことは否定できないとはいえ、成り立ちからすると本来の目的は別のように思います。石垣は、土留目的で作られ、技術の発展によって高い石垣(=崩落しない土塁)を築くことができるようになりました。それによって城が進化していったというのが実態だと思われます。現に、中世山城の石垣には、ただの土留にしか見えないようなものがあります。

林小城の石垣(2010年9月)

したがって、私は、近代城郭の石垣は進化した土塁であると考えるようにしています。

石垣については書き始めるとキリがないくらい面白いのですが、今回はさらに2点に絞って説明します。

1点目は、石垣の構造についてです。石垣は表面だけ見ると石がうまく積んであるようにしか見えず、積石の間には接着させる素材などは用いられていません。しかし、積石の奥(裏)には、積石同士を噛み合わせて固定する石が仕込まれており、さらにその奥には、裏込石と言われる小さな石が大量に詰められています。水はけをよくすることで、雨水によって石垣の奥の土塁の土が流出し、石垣が崩落しないようにするためです。

また、積石の重量を支える石垣の基礎部分には、根石と言われる石や、栗石と言われる小さな石を詰めることもありました。このように、石垣は、高度な技術が詰まった構造物ゆえに、築かれて400年経過した現在でも、往時の姿を保っているのです。
(石垣の作りについては、インターネット上で分かりやすく解説しているものが多数あります。たとえば、https://shirobito.jp/article/1109の図は非常にわかりやすいので、ご参照ください。)

2点目は、石垣の石の加工具合や、積み方によってある程度石垣が作られた時代が分かるということです。石垣は、石の加工具合に応じて、野面積み(のづらづみ)、打込接(うちこみはぎ)、切込接(きりこみはぎ)と区別されます。野面積みは、自然石を加工せずにそのまま積んだもので、打込接は、石垣の大部分を占める積石の接合面を加工したもの、切込接は、積石を加工して隙間なく接合しているものです。つまり、隙間が大きいものから順に、野面積み、打込接、切込接となります。一般的には、打込接が16世紀終わりころ(関ヶ原の戦いの前)から増え始め、関ヶ原の戦い以後に切込接が現れたとされています。

有子山城の野面積みの石垣(2012年12月)

松山城の打込接の石垣(2017年12月)

新宮城の切込接の石垣(2018年10月)

また、石垣は、崩落を防ぐために隅部(角の部分)を強化しておく必要があります。そこで発明されたのが算木積(さんきづみ)と言われる積み方です。これは、隅部において、石の長い部分と短い部分が交互に来るように積み上げ、強度を高めるものです。熊本地震で熊本城(熊本県熊本市)が大きな被害を受けた際に、飯田丸五階櫓石垣が崩落し、角部分だけが残って「奇跡の一本石垣」と呼ばれたというエピソードがありますが、これは算木積がきちんと機能したことによるものです。「一本石垣」となっても櫓の重量を支えられるくらいの強度を持っていることを証明しました。(参考:https://www.tabirai.net/sightseeing/column/0007850.aspx

鳥取城の算木積(2010年9月)

また、熊本城の「扇の勾配」のように、美しく積み上げられた石垣や、観音寺城(滋賀県近江八幡市)の苔むす石垣などは、非常に魅力的な姿を保っています。是非多くの方に、石垣の魅力に気づいていただきたいと思います。

熊本城の扇の勾配(2011年9月)

観音寺城の石垣(2016年10月)

〈参照文献〉
『城のつくり方図典』三浦正幸著、小学館、2005年


〈執筆者プロフィール〉
日野真太郎(ひの しんたろう)
弁護士。1985年福岡県生まれ。幼少時を中華人民共和国北京市で過ごし、東京大学法学部、同大学法科大学院、滋賀県大津市での司法修習を経て、2012年より東京で弁護士として執務。企業間紛争解決、中華圏を中心とする国際法務全般及びスタートアップ法務全般を取り扱う。趣味は城巡りを中心とする旅行で、全国47都道府県を訪問済。好きな歴史上の人物は三好長慶と唐の太宗。

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