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コラム

「世界」を読む no.10
東西冷戦下で暗躍したスパイと組織の権謀術数〜『クーリエ』『KGBの男』より

加賀山 卓朗

映画『クーリエ:最高機密の運び屋』を観た。1960年代前半、東西冷戦のクライマックスとも言えるキューバ危機の最中に西側に機密情報を流していたGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)の高官ペンコフスキーと、その情報の運び屋(クーリエ)になったイギリスのビジネスマン、ウィンの実話にもとづく、見応えのある映画だった。

ウィンは諜報活動については素人だったが、東欧でビジネスをしていたことから、情報運搬の隠れ蓑としてCIA(米中央情報局)とMI6(英秘密情報部)に選ばれ、後付けでスパイ技術の訓練も受けていた。個人的にこの映画でいちばんリアルに感じたのは、ふたりが何度も会うことをGRUに怪しまれないように、ウィンがイギリスの技術をソ連に流す産業スパイであるかのように偽装して、ペンコフスキーをその受取人にしていたことだ。しかもその技術情報(ある程度秘密だが、ソ連に知られても差し支えないもの)はMI6が管理、提供していた。こういう偽装の上に偽装を重ねるやり方は、ジョン・ル・カレのスパイ小説にもよく出てくる。

それで思い出したのが、昨年出版されたベン・マッキンタイアー著『KGBの男 冷戦史上最大の二重スパイ』(小林朋則訳、中央公論新社)だ。いつも新刊を愉しみにしている著者で、綿密な調査とテーマの掘り下げがすごい。前作の『キム・フィルビー かくも親密な裏切り』(小林朋則訳、中央公論新社)も巻を措く能わざるおもしろさだった。

『KGBの男』の主人公は、KGB(ソ連国家保安委員会)の大佐でイギリスに協力していた二重スパイ、ゴルジエフスキーである。学生時代から共産主義を信奉していたフィルビーの確信犯的な裏切りと違って、ゴルジエフスキーはKGB一家に育ち、本人も国に仕えるつもりでKGBに入った。しかし赴任先のコペンハーゲンで西側の自由な文化や生活に触れて祖国の体制に疑問を持ち、1968年のプラハの春におけるソ連の軍事介入とチェコ占領で決定的に離反の意志を固めたようだ。やがてKGBロンドン支局に配属され、支局長の地位にまで上りつめるが(MI6も陰で昇進を後押しした)、CIAの二重スパイ、オールドリッチ・エイムズを通じて正体がKGBに発覚し、モスクワに呼び戻された。

そこから展開するMI6のゴルジエフスキー救出作戦は、小説で言えば、ル・カレよりクレイグ・トーマスを連想させる。映画『クーリエ』のペンコフスキーもそうだが、一度ソ連に戻ってしまうと、亡命させるのはきわめてむずかしい。「ソヴィエト連邦は、事実上、巨大な収容所であり、2億8000万人以上の人々が厳重に警備された国境の内側に幽閉され、100万を超えるKGB情報員や情報提供者が看守として見張っていた。国民は常時監視下に置かれていたが、どの社会階層よりも特に厳しく監視されていたのは、実はKGBそのものだった」(『KGBの男」P.128)からだ。

そんな状況下のゴルジエフスキーをモスクワから脱出させた詳細は本で確認していただきたいが、ペンコフスキーの救出作戦でもフィンランド経由が検討されていたようで、興味深い。『KGBの男』では、スパイ組織間の偽装の応酬や、スパイ同士の友情、反目、駆け引き、組織内での裏切り、放射性ダストや超小型カメラなどのガジェット、防諜テクニックなどもたっぷり描かれていて、こういう分野に興味のあるかたにはたまらない読書体験になると思う。




【執筆者プロフィール】
加賀山卓朗(かがやま・たくろう)
1962年生まれ。翻訳家。おもな訳書に、『スパイはいまも謀略の地に』(ジョン・ル・カレ)、『ヒューマン・ファクター』(グレアム・グリーン)、『夜に生きる』(デニス・ルヘイン)、『大いなる遺産』(チャールズ・ディケンズ)、『チャヴ』『エスタブリッシュメント』(オーウェン・ジョーンズ/依田卓巳名義)などがある。

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