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コラム

「世界」を読む no.3
〜クレムリンが暗殺計画を止めない訳〜『ロシアン・ルーレットは逃がさない』より

加賀山 卓朗

2020年8月、ロシア政府の汚職問題を国内外のメディアで追及し、政権を批判していた野党党首アレクセイ・ナワリヌイが毒殺されかかった事件は、記憶に新しい。地方都市から空路で移動中に体調が急変したため、旅客機は緊急着陸、ナワリヌイは瀕死の状態でオムスク市の病院に収容された。その後ベルリンの医科大学に移送され、検査の結果、おそらく神経剤のノビチョクが使われたことが明らかになった。

ノビチョクは致死性の高い化学兵器で、1970〜80年代にかけてモスクワ南東に位置するシハヌイの軍事研究施設で開発された。ロシア当局はその生産や研究を否定しているが、備蓄はあると複数のロシア人科学者が証言している。同じ神経剤は、2018年、ロシアの元二重スパイでイギリスに住んでいたセルゲイ・スクリパリと娘のユリアに対する暗殺未遂事件でも使用された。

前段の知識は、最近訳したルポルタージュ『ロシアン・ルーレットは逃がさない プーチンが仕掛ける暗殺プログラムと新たな戦争』(ハイディ・ブレイク著、光文社)から得たものだ。著者は、バズフィード・ニュースの国際調査報道エディター。彼女が立ち上げた調査チームによると、クレムリン主導の暗殺が疑われる事件は、少なくともイギリスで15件、アメリカで1件ある。なかでも有名なのは、2006年、イギリスに亡命していたFSB(ロシア連邦保安庁。ソ連の諜報機関KGBの後継組織)元捜査官のアレクサンドル・リトビネンコが、放射性物質ポロニウム210を飲まされて死亡した事件だろう。

国外での暗殺事件を起こしても、当該国の政府はロシアに対して強硬な態度をとらないことが多い。なぜか? ひとつには、旧ソ連諸国の資本主義化で大量に発生したロシアマネーを各国の金融業界が取りこむため、国交を断絶する訳にはいかないからだ。また、超大国を率いるプーチン政権に対して、事を荒立てたくないという政治的思惑もある。

暗殺指令がプーチンやロシア政府から出ているということは、最終的には証明できないだろう。しかし、これだけクレムリンの関与が推定され指摘されているなかで、なお今回のナワリヌイのような事件が起きるのにはぞっとする。反体制派をひそかに消すというより、あえて大っぴらに攻撃して見せしめにするという意図が透けて見えるからだ。




【執筆者プロフィール】
加賀山卓朗(かがやま・たくろう)
1962年愛媛県生まれ。翻訳家。おもな訳書に、『スパイはいまも謀略の地に』(ル・カレ)、『ヒューマン・ファクター』(グリーン)、『夜に生きる』(ルヘイン)、『大いなる遺産』(ディケンズ)、『チャヴ』、『エスタブリッシュメント』(ジョーンズ/依田卓巳名義)などがある。

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