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発言

『正しさを疑え!』第17回
ボイコットを期待してはならない

真山 仁

東京五輪まで残り三ヶ月を切っても、菅義偉総理は未だに「中止」を決断しない。
総理は、何が何でも、やりたいのか――。

新たな変異株の登場で、コロナ禍は深刻さの度合いが二段階ぐらい上がった。
大阪で病床が足りなくなるのは時間の問題だろうし、全国的に重篤者、死者のいずれもが、上昇している。
大阪よりもPCR検査者をかなり減らして、「五輪対応」をしていた東京でも、ついに感染者が1000人を超えた。

欧米が膨大な死者を出したのと比べて、圧倒的に少ない数で抑えているのが日本政府の自慢だったが、それも、限界にきている。
そもそも、他の先進国と比べて最も緩い対策なのに被害が少なかったのは、政府の対策が素晴らしかった訳ではなく、もっと生物的な理由があると見られている。しかし、今度の変異株には通用しないのではないかと、日本社会には恐怖と不安が募っている。

こんな状況下で、本当に7、8月に東京オリンピック・パラリンピックが開催できるのか。
まともな神経の持ち主なら、「ありえない」と即答するはずだ。なのになぜ菅総理は、こんなにグズグズと決断を先送りしているのか。
「五輪の中止については、自分だけで決断した!」とアピールできれば、政権の人気は回復する。そのタイミングを狙っているのだろうか。

日米首脳会談はそのよい機会だった。だが、渡米直前、二階幹事長が「とても無理だということだったら、すぱっとやめないといけない」と発言したのが裏目に出たのか、方針を転換しなかった。きっと「二階幹事長のお陰」と言われたくなかったのだろう。

そんな中、世間では、「もう、選手や参加国からボイコットしてもらうしかない」という声が上がり始めた。
菅総理も、自分が決断したくなくてそう願っているのであれば、世界中から失笑を買い、日本政府の威信は地に堕ちることになる。

かつて、五輪のボイコットといえば、ソ連のアフガニスタン侵攻を口実に西側諸国やイスラム諸国が一斉に参加を取りやめた1980年のモスクワ五輪が知られている。その次の84年のロサンゼルス五輪では、ソ連など共産圏が、前年の米軍のグレナダ侵攻に抗議してボイコットした。いずれも、世界が騒然となった。

この二例を見れば、ボイコットとは、極めて政治的であることが分かるはずだ。また、招致国に対して大変失礼な態度なので、外交関係が悪化する可能性も高い。だから、どの国も安易にはボイコットを選択しないはずだ。

しかも今回、不参加を表明するとしたら、理由は「日本で、コロナに感染する危険があるから」だろう。現に北朝鮮は感染リスクを懸念して東京五輪への不参加を決めている。
つまり、冷戦時代のような政治的な理由ではなく、「選手や関係者の命の危険が懸念される」からだ。ホスト国としての最低限の安全確保が出来ないなら、招致国失格ではないか。
そんなことを、日本社会が期待するなんて……。

もちろん、選手個人に参加の是非を決めさせるような暴挙も、絶対にあってはならない。五輪という競技会は、特別だ。選ばれた多くの選手は、参加すべきか、あるいは出来るのかについて、ずっと悩んでいるはずだ。4年に一度しか開催されないし、そこで競技できるのは、アスリート人生の最高の栄誉と言える。だから、「参加したくない」選手なんて、誰もいない。

それでも、この状況下で本当に参加すべきなのかを、ずっと悩み続けているだろう。
そんな選手に、「日本政府がだらしないから、あなたたちが総理の背中を押してあげて」とボイコットを求める――。
その発想が、如何に安易で、無責任で、選手を傷つける行為なのかに、気づいて欲しい。

すべては、菅総理の覚悟次第なのだ。
日本が、そして、「あなた」が、世界の笑いものになる前に、五輪の中止を宣言してほしい。

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