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コラム

鉄道四方山話 第2回
〜多様性の時代を反映 停車駅増の「らしくない特急」登場

多田大樹

3月12日に実施された京王電鉄のダイヤ改正で、全国でも珍しい「準特急」という種別がなくなった。種別というのは快速とか急行とか列車の区分けのことである。その準特急が特急と統合されたのだ。停車駅の増えた特急は高尾線内の各駅に停車するようになる一方、急行はこれまでと同様、通過運転を継続することになったので、高尾線では急行より特急の方が遅くなるという逆転現象まで起きた。特急の沽券に関わると目くじらを立てる話でもないが、特別速いわけでも、サービスが優れているわけでもない特急とはいえる。

3月12日のダイヤ改正で廃止された京王電鉄の「準特急」(多田大樹撮影)

京王電鉄の「準特急」はダイヤ改正で「特急」と統合され、特急の停車駅が増えた(多田大樹撮影)

京王に限らず、特急の停車駅はどこも増加傾向にある。「私鉄王国」と呼ばれる関西では、国鉄と私鉄が熾烈な競争を繰り広げてきた。もともとはサービスに劣る国鉄が私鉄の後塵を拝していたのだが、民営化後に立場は逆転。JR西日本が最高時速130キロを誇る新快速で巻き返しを図ると、立場は逆転。京阪神の都市間輸送勝負の軍配はJRに上がった。

梅田を出ると十三、大宮、烏丸しか停車しなかった特急も今は昔。阪急京都線の特急停車駅は今や、かつての急行とほぼ変わらない。京橋-七条間をノンストップで結んでいた京阪電鉄の特急も同様、敗北を認めて停車駅を増やし、都市間輸送から地域輸送にシフトさせている。

特急とは名ばかりで、その実急行であるから、今度は観光需要が高まる週末に“本当の特急”を運転しようとして困ってしまったのだろう。阪急電鉄は特急の上に「快速特急」という特急より上位の種別を設けて対応したようだ。京阪も似たようなことをしている。どうも屋上屋を架すような話で、快速特急を特急に、特急を急行にした方が分かりやすそうだが、鉄道会社にもいろいろ事情があるのだろう。

男らしさ、女らしさといった「らしさ」は社会の決めつけで、固定的観念に基づくバイアスであるという。だから、鉄道愛好家の軽輩ごときが鉄道会社に「特急らしさ」を強要するのは良くない。昔の特急は限られた人しか乗ることができない「Limited Express」であったが、時代の変化とともに大衆化が進み、特急が身近な存在になったのだと、むしろ喜ぶべきなのだ。

それはそうなのだが、鉄道愛好家の軽輩としてはやはり、特急には多少の「らしさ」も求めたくなるのである。鉄道好きというのは懐古趣味的なところがあるのだろう。

戦前を代表する列車と言えば、超特急「燕」だ。山越え区間で列車の後部に補助機関車を連結していたが、駅での連結作業をわずか30秒でこなしていたというエピソードも残っている。それほど時間を切り詰めていたのである。補助機関車の切り離しに至っては、停車する時間すら惜しみ、なんと走行しながら作業するという離れ業まで演じていたそうだ。

特急や急行は「優等列車」と呼ばれるが、その中でも格の高下があり、花鳥風月や抽象的な名詞から愛称を採用した列車は特に“家柄”が良い。鳥の名である「燕」(のちの「つばめ」)もそうだ。

特急を名乗っていても、旧国名や地名に由来する愛称を付けられた列車は、もとは準急や急行の出であることがほとんどである。例えば、東北新幹線の「なすの」は地名の那須野が原から名づけられた。その出自をたどると、もとは不定期準急で、急行、新特急(現・特急)と順調に出世した列車だったのだ。足軽の身分から30万石を超える大名になった藤堂高虎のような存在だ。

特急が停車するようになるというので町を挙げて処女列車を出迎えたら、実は停車駅ではなく、ぬか喜びに終わった「能生騒動」(鉄道四方山話「第1回」)の原因を作った「白鳥」は鳥の名に由来する。花鳥風月の愛称だから、白鳥も名門。そんな特急が漁村の小駅に停車するというのだから、騒動になるのも当然だった。

高虎ついでに江戸時代の話で恐縮だが、江戸城に登城した大名や旗本が将軍に拝謁する順番は、官位や石高、役職などによって決められていた。順番を待っていた控え席を「伺候席」(しこうせき)といい、どこに詰めるかで大名家の家格が分かるようになっていたそうだ。
伺候席から序列が分かるように、時刻表の列車番号を見れば、格の高い特急の中の序列を推し量ることができる。もちろん、例外もあるのだが、「1M」とか「1D」といったトップナンバーを与えられる列車は、その路線でいちばん偉い。アルファベットのDは気動車(ディーゼルカー)、Mなら電車を意味していて、客車列車は数字のみとなってもっとシンプルである。「栄光の1レ(列車)」とも呼ばれ、たいそう偉い。

試しに東海道新幹線開業前夜、1964年9月号の時刻表復刻版を開いてみる。東海道本線のページで列車番号「1」を冠していたのは寝台特別急行「さくら」である。前身は戦前に東京と下関を結んだ第3・第4特別急行「櫻」だ。列車番号「1M」を冠していたのは特別急行「第一こだま」だった。1両の定員たったの18人という超豪華仕様の「パーラーカー」を連結し、東京-大阪間の日帰り出張を可能にした「ビジネス特急」で、こちらも名門だ。

栄光の1レである「さくら」(写真右端から2列目)の列車番号が「1」となっているのが分かる(国鉄監修『交通公社の時刻表 1964年9月号』復刻版より)

日本初の特別急行で第1・第2列車の「富士」と第3・第4列車の「櫻」、そして先述の超特急「燕」で、さしずめ特急御三家である。「こだま」は戦後生まれだが、世界初の高速鉄道の愛称にも引き継がれたので、こちらは御三卿といったところか。

特急や普通といった種別は鉄道会社によってもルールがまちまちだ。快速より急行が速いケースもあれば、またその逆もある。信じられないことだが、快速急行より急行の方が上位の種別だった鉄道会社もあったほどだ。その話はまた別の機会に譲りたい。

ユニークな語釈で知られる『新明解国語辞典』は、性的少数者に配慮して「恋愛」の説明を見直し、対象者を特定の「異性」から「相手」へと改めた。辞書の語釈も時代や価値観を反映して変わる。時代によって特急の価値観が変わるのも理の当然だ。

京王高尾線の特急は急行よりも遅くなってしまい、特急らしくはなくなってしまったけれど、多様性を尊重する時代、そんな特急があっても良いのかもしれない。





執筆者プロフィール:
多田大樹
鉄道愛好家。大学卒業後、団体職員、新聞記者を経て編集者に。鉄道模型のジオラマ製作に凝っていたこともあったが、現在はロードバイクにはまっている。自転車で目的地に向かい、列車で輪行して帰ってくるという中途半端な鉄道ファン。

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