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コラム

横溝正史三昧〜ヨコセイざんまい03
『探偵小説』

伊藤 詩穂子

「緊急事態宣言」の言い換えのように登場した「まん延防止等重点措置」。うっかり「まん防」と略して集中砲火を浴びていたが、海のマンボウに罪はなく、そもそも「まん延」がいただけない。カレル・チャペック『長い長いお医者さんの話』(中野好夫訳、岩波少年文庫)を見よ。「艱難辛苦」や「叡聖文武」も出てくる。これで対象は「小学3・4年以上」だ。そのことを教えたら、田中鼎が「ほらね」と我が意を得たり顔になった。ロバート・バー『ヴァルモンの功績』(創元推理文庫)を小学6年生がわかるレベルで訳したと強弁している人なので、まあ話半分だけれど。

新聞でお目にかかる「破たん」だの「ちゅうちょ」だの、切迫感のかけらもないと常々げんなりだった筆者は、4月22日付朝日新聞で哲学者の古田徹也がそのあたりのことを高尚に述べるのを読んで勝手に意を強くしている。と同時に、戦後の漢字制限によって「探てい小説」にされることを潔しとせず、「推理小説」の語を普及させつつ結果的に「探偵」を延命させた木々高太郎ら先人に改めて敬意を表したくなった。

――というわけでだかどうだか、横溝正史の「探偵小説」である。

「日本探偵小説全集〈9〉横溝正史集」(創元推理文庫)

本作は女流歌手が十年ほど前の出来事を回想する体裁の本格編で、なんたって歌手の名前がいい。「鮎川」なんだもの。

舞台はスキー場を擁するN温泉の最寄り駅。鮎川と探偵作家の里見、洋画家の野坂が、雪崩で遅れた列車を待っている。手持ち無沙汰の成り行きで、目下里見が締切に追われて構想中の筋書きを披露することになり、あとの二人は「少しでもあやふやなところがあったら、遠慮なく突っ込んであげましょうよ」と手ぐすねを引く。当地で仕入れた女学生殺しの一件をヒントに、脚色を加え、捕まったのとは別に真犯人を創造して細部を語る探偵作家里見。犯行の動機に話が至るや……

長くはないし、一文一文が楽しいから本当にあっという間。作中人物が「そら始まったぞ。雪、雪、雪とね。それがトリックになるんだろう」「そこらが怪しいところだね」などと突っ込んでくれるのも面白い。
「探偵小説という奴はいわば全行伏線だからね」「探偵作家の空想に敬服せずにはいられませんわ」の自画自賛(ですよね)にくすっとさせたり、「そういうトリックなら、どこかで読んだような気がするんですが……」との評に「まいったなあ。だから通にはかなわない」と尻尾を巻いてみせたり、あの手この手で飽きさせない。穴と見えた箇所を巧みにふさぐ手回しのよさには、全くもって「敬服せずにはいられませんわ」。小道具も気が利いていて、羊羹の箱なんか最高だなあ。

中島河太郎が『刺青された男』(角川文庫)の解説で、「探偵小説」に関する横溝正史の回想を引いている。

「この小説を書いているところへ、若い人が三人遊びに来たので、すでに書いてある部分を読み、あとの腹案を話してきかせたところ、みんな面白がって、てんでにいろんな案を出してくれた。やはり、こういうトリックは、大なり小なり、人の心をとらえるものらしい」

孫引きで恐縮ながら、殊に本作では成り立ちを知ることも一興であろうと思う。

今回、『刺青された男』ではなく日本探偵小説全集9『横溝正史集』(創元推理文庫)の書影を掲げたことには理由がある。アイドルを撮った「奇蹟の一枚」というものが存在するように、「奇蹟の一冊」だと信じる本だから。ヨコセイのファンならば是非手許に置いてもらいたい。
同書所収「百日紅の下にて」の終幕を御覧あれ。

「蒼茫と暮れていく廃墟のなかの急坂を、金田一耕助は雑嚢をゆすぶり、ゆすぶり、いそぎあしに下っていった。瀬戸内海の一孤島、獄門島へ急ぐために。――」

このあと、1ページめくるだけで始まるのだ。「備中笠岡から南へ七里、瀬戸内海のほぼなかほど」と、至高の傑作『獄門島』が。編集の魔法をかけたのは、ご存じ北村薫である。




執筆者プロフィール:
伊藤詩穂子
編集者、校正者
京都府生まれ。豊中で阪神淡路大震災、東京で東日本大震災に遭遇。現在、癌サバイバーを目指して働き方改革実践中。

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