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コラム

横溝正史三昧〜ヨコセイざんまい08
“The Honjin Murders”

伊藤 詩穂子

1937年の冬、岡――村は人さえ寄れば一柳家の噂であった。本陣の末裔一柳の当主賢蔵に、かつて小作人だった久保林吉の娘克子が輿入れする日も近い。村人への振舞いを期待しつつ、虚実ないまぜに飛び交う噂。少々気がかりなことには、不気味なマスク男が一柳家の場所を尋ねたという。祝言の翌未明、一柳家の人々は魂消る悲鳴で目を覚ました。続いて響く楽の音。死の使いが訪れ、新郎新婦の血を吸った日本刀を残し降り積もった雪に跡も残さず消え去ったのである。間もなく素人探偵金田一耕助が登場、迷宮入りしそうな殺人事件の調査に当たる。風采の上がらぬこの探偵に、いかにも不可解な事件が解明できるか? (“The Honjin Murders”裏表紙の紹介文を参照)

Seishi Yokomizo, “The Honjin Murders” Translated by Louise Heal Kawai, Pushkin Vertigo, 2020

輝かしい、金田一耕助初登場作である。当初この探偵を続投させる気はなかったらしいが、にわかには信じがたい。いずれにせよ、『本陣殺人事件』の連載が終わる前に再登板を要請した、「宝石」の城昌幸編輯長に万謝を捧ぐ。

ふつうの殺傷事件とはまるで違っており、そこには犯人の綿密な計画があり、しかもなんとこれは、「密室の殺人」事件に相当する――第一章で横溝正史はこう書いている。英ガーディアン紙によれば「実に独創的な真相」。そうでしょうとも。
本書の版元Pushkin Vertigoから、“The Inugami Curse”“The Village of Eight Graves”“Gokumon Island”も出ている(Honjinを含めて英国では同価格)。世界のセイシ・ヨコミゾ、飛躍の時。CWAのインターナショナル・ダガーを獲っても不思議はないが、物故作家は対象外だったりするのだろうか。

『本陣』での金田一を追ってみると、真相解明の素早さに舌を巻く。発表当時の紙幅という制約もさることながら、小説の良し悪しを左右するのは語りの手順に尽きるから、ヨコセイの面目躍如と言っていい。
11月26日の午前4時ごろ事件発生、金田一が電報で呼び寄せられ27日の昼前に一柳家到着。28日午後9時には関係者を集めて「さて」と言う。事前に再現実験の段取りも済んでいて、現地入りから丸一日経つか経たないかで真相を看破しているわけだ。「正直なところはじめ私はこの事件に、あまり気がすすまなかった」という人がですよ。

世話になっている久保銀造への義理立てで赴いた金田一は、一柳家の本棚に並んだ内外の探偵小説を見て一転興味をそそられる。涙香、ドイル全集、ルパン物、博文館や平凡社の翻訳探偵小説全集、江戸川乱歩、小酒井不木、甲賀三郎、大下宇陀児、木々高太郎、海野十三、小栗虫太郎、クイーン、カー、クリスティー……密室物を始めとする探偵小説への言及や金田一の造形もそうだが(『くまのプーさん』の作者でもあるA・A・ミルンの『赤い館の秘密』の探偵アントニー・ギリンガム風だったり、もと麻薬常習者だったり)、趣味まっしぐらという感じで微笑ましい。

それもそのはず、『本陣』の連載が始まった「宝石」創刊号(昭和21年4月)で、横溝正史は次のように述べている。内外の作品に触れていたときは「つい、探偵小説といふものが自分にとつて、どんなに必要なものであるかといふ事を忘れてゐたやうだ」が、戦時下の禁圧を経て「俄然、探偵小説への饑餓を感じはじめた」「食物への饑餓の場合、肉よりも魚よりも先づ第一に米を求めるやうに、この探偵小説への饑餓をうつたへてゐる私は、探偵小説のなかでも最も探偵小説らしい探偵小説、つまり本格的なものを求めてゐる」のだと。「巧妙な雰囲気だとか、描写だとか、新鮮味だとか、さういふ調味料は一応饑餓がみたされてからでよい。私はいま何よりも米の飯が食ひたいのである」

その筆頭はクロフツとカーだったようだが、自力本願も奏功したに違いない。『本陣』完結篇(昭和21年12月号)では早くも、「一応探偵小説に対する飢餓に満されたいまでは、米の飯だけでは物足りなくなつてゐる。そこに程よい味つけと、出来れば食慾を刺戟するに足る副食物さへ欲しいと思つてゐる」「引きつゝき長講一席弁じるやうにとの慫慂を受けた私は、だからこんどは、調味料の味加減にも、一苦労をしてみようと思ふのである」と、新連載『獄門島』(「ごくもんじま」のルビあり)への言葉を寄せている。

ところで、短編ではないのに『本陣殺人事件』を取り上げたのは、冬とくれば雪、ヨコセイで雪となれば、の連想からである。英訳が出ていると教わって、取り寄せてもいた。ちょっとひねってみようと身の程知らずな発想、そこで立ち止まればよかったが……
白状いたしますと、今回のお題、読み終わっていないどころか、やっと半分なのでした。原典は何度も読んでおりますが、愛する『本陣殺人事件』の英訳版となれば一言一句おろそかにはできませぬ。すでに二月。いつか雪の季節に続きをと心中に期して、今回は幕といたします。




執筆者プロフィール:
伊藤詩穂子
編集者、校正者
京都府生まれ。豊中で阪神淡路大震災、東京で東日本大震災に遭遇。現在、癌サバイバーを目指して働き方改革実践中。

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