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コラム

横溝正史三昧〜ヨコセイざんまい02
「九時の女」

伊藤 詩穂子

何をお題にするか、早くも困って過去の読書録に頼ったところ、目を惹いたのが「今までのベストくらいに気に入った作品」という「三通の手紙」評である。いくら読書歴が浅くても、ヨコセイ命になっていたとしても、読んですぐに抹消される驚くべき忘却力だとしても、この評価は気になる。

いきなりそれ? と思わないではない。四姉妹の長女メグが金持ちの友人宅へお呼ばれして早々に一張羅を(といっても貧相だけど)披露してしまい、本番の舞踏会に着るドレスがない――そんな『若草物語』の挿話を連想した。
ええい、ままよ。

覚悟を決めるまでもない、6ページの掌編だった。これはしたり!
面白いし、気に入ったのも道理なのだが、粗筋を書いたら見当がついて顰蹙を買うに違いない。この作品は予備知識なしに読んでほしい。代わって、同じく『殺人暦』(角川文庫、1978)所収の「九時の女」でいってみよう。

横溝正史『殺人暦』角川文庫

深夜の東京お茶の水。近ごろ芽が出てきた探偵作家の寒川譲次は、あと半日で大金を作らねば生家が破産する窮地に陥っている。そこへ「九時の女」が電話をかけてきた。ダンスホールの常連で、決まって九時に引き揚げていく謎の美女。譲次とは何の関係もないのに、お金を用立てましょうとの申し出、交換条件は小石川の某宅へ行って応接間からあるものを回収すること。

眉に唾をつけつつ出向いた譲次、目的のものは見つかったが、よりによって死者の手に握られていた……とまあ、そうこなくっちゃ。安心召されよ、譲次の生家は事なきを得る。しかしながら全てが丸く収まるわけがなく、余裕綽々に見えた九時の女も周章狼狽の体。

「始まりの不思議さが好き」との第一印象は的を外しちゃいない。出てくる地名は都内に実在するものの、西欧の探偵小説もかくやの雰囲気で、分量は「三通の手紙」の何倍もあるとはいえ、起伏に富んだ筋書きをコンパクトに仕立てる腕前はお美事。

主人公の探偵作家はヨコセイの分身と考えてよかろう。鉄火肌というのか、おきゃんな女性、『たけくらべ』の美登利などが好みのタイプだったのかもしれない(実は前回紹介した「青い外套を着た女」の美樹もそうなのです)。

解説で中島河太郎が「ドイルの故智に倣って」と書いている。作品の当たりがついたのは、あくまで初読時のメモによって、だ。それが証拠に、なぜその作品名が挙がっているのか、かけらも記憶になかった。

当のホームズ譚を読んでみる。確かにこれだな。昔の自分に助けられてばかりいる。当時、なぜわかったのだろう。今と違ってパソコン検索は使えず、誰かに教わったようでもないのに。まさか自前の記憶だけで?←およそ考えられない。それとも斜め読みで総当たり?←こちらは考えられなくもない。

試みにルパン、もといリュパン物の某作も検討したところ、たぶんヨコセイはここからも学んでいる。「九時の女」に同居するホームズとリュパン、西欧の香気もむべなるかな。

蛇足ながら、まずホームズと出会い、南洋一郎の手になるルパンを知る前に『奇岩城』(旺文社文庫、1973)を読んだ筆者は、金輪際ルパンなんか読まないと誓うくらい頭にきた。乱歩の『黄金仮面』で少しばかり溜飲を下げた覚えがある。

だから困っている。「九時の女」に関して読んだ某作の出来映えにうなり、それが収録されている短編集くらいは読むべきか、と思ってしまったために。やれやれ、ヨコセイも罪な男である。



執筆者プロフィール:
伊藤詩穂子
編集者、校正者
京都府生まれ。豊中で阪神淡路大震災、東京で東日本大震災に遭遇。現在、癌サバイバーを目指して働き方改革実践中。

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