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コラム

横溝正史三昧〜ヨコセイざんまい07
「吉様まいる」

伊藤 詩穂子

『完本 人形佐七捕物帳』(春陽堂書店)が完結した。全180作、堂々全10巻、めでたいことである。偉業を言祝ぎ、本稿も山の賑わい。全編を読んでから書くのが筋だとは思うが御勘弁願って、『自選人形佐七捕物帳1 羽子板娘』(角川文庫)に入っている「吉様まいる」を取り上げたい。

横溝正史『自選人形佐七捕物帳1 羽子板娘』(角川文庫)

佐七親分に妙な一件を持ち込んだのは、日本橋に大店を構える紅殻屋伊左衛門。年頃になった一人娘お七の婿探しに励んでいたところ、なんと娘のお腹が膨らんできた。相手は誰だと迫っても口を割らぬお七は、月満ちて男の子を産み、三日目に他界。子供の父親はわからずじまいだったが、お七が書いた吉様(きちさま)宛の遺言めいた手紙が見つかる。伊左衛門が「吉様こそ赤子の父、養子に迎えて店と子供の行く末を任せたい」と洩らしたとたん、我こそ吉様なりと三人が名乗り出たから、さあ大変。親分さん、誰が真の吉様でございましょうか……

ホームズ譚の風合いで、寄席にかかっていそうな話である。口をつぐもうが死んでしまおうが、現代なら科学の力で白黒つけられるから、そういう意味では味気ない世の中になっちまったのかもしれない。
神田お玉が池の十手持ち佐七と恋女房お粂、巾着の辰五郎、うらなりの豆六。いわば「チーム佐七」の掛け合いと探索を核に話は展開する。実際お粂も駆り出され、吉様の一人を探る役目を嬉々として果たす。

主人公が作者の分身と目されることはあるが、「役者のようにいい男」の佐七についてはどうだろう。ヨコセイはさまざまなコンプレックスを抱えていたらしく、その一つは容貌に関するものだった。「マサシ、おまえはだれの子だ。この横溝の家は美男美女系で男はみんな男前、女はみんなええ器量や。そやのにおまえだけがなんでそない見っともない顔してるんや」とは異母兄歌名雄の言で、正史少年の心をいたく傷つけたことは想像に余りある。
分身はむしろ、御用聞きになりたくて大坂からのぼってきた豆六か。上方言葉を駆使する豆六が交じることでやりとりは弾み、いい味を出している。草双紙通だというのも見逃せない。

チーム佐七は、図抜けた一人と盛り立てる脇役の組み合わせではなく、それぞれ担う役割があって初めて佐七の存在が光る、そんな印象だ。『鬼滅の刃』の竈門炭治郎もしかりで、主人公は死なず目立って当然ながら、他者あってこそ活かされる存在と言える。炭治郎の場合、初期設定が遠大な伏線であったと終局で判明するが、鬼との戦闘では間々窮地に陥り、柱や仲間に救われている(伏線を忘れさせない効果は絶大。アンドリュー・クラヴァン『真夜中の死線』を想起した)。

今でこそ敢えて多様性だの共生だの名づけて意識させなきゃならないようだが、昔っから当たり前に培われていた観念なのだ。四番打者ばかり集めても勝てなかったりする理由はそこにもあるわけで。
なぜ江戸時代に取材した捕物帳や時代劇が愛されるのか。身分制度や帯刀という創作上の要請に加えて、「一番近い大昔」への憧れや郷愁、現代と懸け離れているからこその「何でもあり感」かと想像する。要するに、ファンタジーだからどんなこともありうる、と納得しやすい。逆に、こういう時代に生きていなくてよかった、との安堵もあろう。
前述『鬼滅の刃』の舞台設定は大正時代。一番近い大昔が大正までくだっているとしても、言うなればチャンバラで剣豪小説の趣もある作品が若年層を中心に大受けしたのだ。時代物、捕物帳の未来は明るい、と思わせるではないか。

横溝作品では時に作者がひょっこり顔を出す。『羽子板娘』所収の「石見銀山」には「ちかごろ、ものすごい事件といえば帝銀事件」と世相が現れているが、おやまあ、なのが同書所収「色八卦」の冒頭。「現今でも、競馬、競輪、富くじとばくちばやりで、まるで地方の自治体がばくちの胴元をしているようなものだが、これは諸事停滞して、経済的に八方ふさがりになった時代の特徴らしく」とある。失われた20年に疫病禍がのしかかる国でIR計画が進むのも、「歴史は繰り返す」だったんですねえ。





執筆者プロフィール:
伊藤詩穂子
編集者、校正者
京都府生まれ。豊中で阪神淡路大震災、東京で東日本大震災に遭遇。現在、癌サバイバーを目指して働き方改革実践中。

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