日韓関係の深刻さは、現在(2019年12月9日)とは比較にならないが、私が韓国を訪れた当時も、問題が持ち上がっていた。前年(2016年)12月に従軍慰安婦像が、釜山に設置されたためだ。
第二次世界大戦時、日本の統治下だった朝鮮半島で、戦地の日本兵の性の相手をさせるために強制連行した従軍慰安婦が存在した。但し、この問題は1965年に締結された日韓基本条約で、政府間では、補償金を支払って「解決」している。そして、これ以降、韓国側から新たな請求は行わないことも合意した。
ところが、この補償金は、韓国国民には個別に支払われなかった。当時の韓国政府が困窮を極めた韓国経済立て直しに援用したためだと言われている。
これについて、韓国国民の一部から、個人的な補償を受けていないという声が上がったが、それは韓国の国内問題とされていた。
ところが1990年代に入り、従軍慰安婦の問題がクローズアップされ、日本政府に、元慰安婦に対して謝罪と慰謝料を求める運動が湧き上がった。
日本政府は、こうした問題は、日韓基本条約によって解決済みで、個別補償は、韓国内の問題と応じなかった。
しかし、その後何度も、従軍慰安婦問題は、日韓関係の重大問題だとする声が韓国国内を中心に湧き上がった。
そして、韓国でこの問題を訴え続けてきた団体が、2011年12月14日、ソウルの日本大使館裏に「平和の少女像」と称する像を設置。問題が、再燃した。
この問題は、日本国内でも注目され、従軍慰安婦問題の一部報道に誤りがあったことも重なって、賛否両論の論争が巻き起こった。この少女像設置は、韓国全域はもとより、アメリカやオーストラリア、カナダ、ドイツなどにも広がった。
私が、ソウルを訪れたのは、そういうタイミングで、現地の日本人特派員から、「毎週水曜日、ソウルの日本大使館裏にある少女像前で、イベントが行われているので、見学すべき」と勧められ、8日正午に、現場を訪れた。
テニスコート一面分の広さの会場は、シートの上に腰を下ろした老若男女で埋め尽くされている。その周辺は「KEEP OUT」と書かれた黄色いテープが張り巡らされ、それに沿ってメディアと観光客が立っている。大半が、カメラやスマートフォンを構え、そのまわりを機動隊が取り囲んでいた。
参加者は、二人あるいは三人一組で、次々と特設ステージに立ち、聴衆に同意を求めるように拳を突き上げ大声で叫ぶ。聴衆もそれに応じて、声を上げる――。
日本を非難する一団が、目と鼻の先にいる――――。それだけで緊張した。
見学しているのは、ほとんどが日本人で、皆一様にこわばった表情で、会場にカメラを向けている。こんな露骨な行動をとって危険はないのかと心配になるほどだ。だが次第に、我々と目の前で声を上げる彼らとの間には、互いを大きく隔てる結界が存在していることに気づいた。
黄色いテープの内側にいる人々は、我々見物人をまったく気にしていない。目の前で彼らを取り囲んでいるのは、彼らの憎っくき日本人のはずなのだが、視線を送ることすらしない。
見物者がその様子に拍子抜けして徐々に日本語で感想を漏らし始めても、その態度は一向に変化がない。
なんだ、これは?
彼らは今、日本人に怒っているんじゃないのか?
どうやら、怒りの矛先は、私たちとは異なる“日本”のようだった。
このイベントには、主宰する関係者の思惑や目的があるという話を、記者から聞かされていたのだが、これほどの周囲を取り巻く日本人に無関心なのは驚いた。
さらに、韓国一番の繁華街・明洞(ミョンドン)を歩いてみた。すれ違う若者は、日本人と区別がつかない。我々取材チームが、日本語で話していても、誰も気にもしない。結局、帰国する日まで、日本人であることで、一度も非難の目を向けられることはなかった。
《次回へつづく》