日本からポスドクとして研究機関に任期付きで赴任した2013年以来、紆余曲折を経て、現在はパリ近郊の一般企業でエンジニアとして生活する筆者が、内側から見た「フランス社会」を描写する。
フランスに住んで今年で7年目になります。私生活と仕事の両方でフランス語には不自由しなくなりました。税金や年金、健康保険料などの社会保障費も納得して毎年納めていますし、人間関係の上で社会において孤立していると感じるようなこともありません。
日本が二重国籍を禁止していることもあり、フランス国籍こそまだ取得していませんが、私にとって日本とフランスの二国間に実生活レベルでの国境は感じません。ともすれば、自分が外国人であることを忘れてしまいがちですが、フランス国籍を持たない私は当然、この国の政治に対する投票権がありませんし、滞在許可や労働許可といったものは日々の生活における潜在的なリスクになります。明らかに外国人としての制限を受けているのです。とはいえこれまで、私にとってこれらはフランス社会で生きていく上で決定的な不安要素にはなり得ませんでした。
自身の認識を改めるきっかけになったのは、昨年末に最初の症例が確認され、目下世界中に広がりつつある新型コロナウイルス感染症(COVID-19)です。その発見と拡大の経緯から、ここフランスでも「感染はアジア人によって引き起こされている」と考える人が多くいるようです。また、こうした認識は「パンデミック」という刺激的な語彙や「特効薬がない」などの科学的検証なしの表面的な情報と結び付くことによって、人々の不安を煽っています。
今年に入って、パリ市内で起こったアジア系住民や店舗に対する暴力・暴言に関する事件が頻繁に報道されるようになりました。実際、私自身も先日、通勤するバスの車内で面と向かって「コロナ」と蔑まれました 。また、何かの拍子に咳き込んだときには、周囲の視線が一瞬自分のほうに集まるのを感じることも少なくありません。そして、アジア系の顔を視認して「ぎょっ」とした表情を浮かべるのです。私は、それを忘れることができません。あくまで実体験と周囲からの伝聞のみによりますが、こうした行為やリアクションに及ぶ人々の間には、世代の偏りはあまりないようです。
ゼノフォビア(外国人嫌悪)という言葉がありますが、フランスという先進的な多民族国家においてさえ、社会システム上の差別はなくすことができても、人々の心理的な境界線を取り払うことはできないようです。しかも、絶望的であるのは、そうした差別がいまだに「顔つき」や「肌の色」といった表面的な違いから生じている点であり、仮に今後私がフランス国籍を取得し、ネイティブレベルのフランス語を話すようになったとしても、消えることはないでしょう。先日利用したUberの運転手はフランス国籍を持つアラブ系の男性でしたが、彼は「これまでは俺たちの番だったが、今度はあんたら(アジア人)の番だ、この国はいままでもこれからも、そうやって誰かを悪者にしておかないとうまくいかないんだ」と言って笑っていました。
ここ数年、私はこのままフランスに永住することを真面目に考えていました。労働環境や社会保障制度におけるメリットを秤にかけ、フランス側のシステムに魅力を感じていたからです。両親はもちろん日本に住んでいますが、直行便であればほんの12時間で会いに行くことができますから、心理的な距離はさほど感じたことがありません。しかし、今回のコロナウイルスの騒動によって突き付けられた、この社会が必要とする「悪者」に自分はなり得るのだという事実が、そうした考えを揺るがせています。
フランスはEU圏の中でも失業率が高い国です。パリ市中でも至るところにSDF(フランス語で「ホームレス」の略語)が座っています。地方に行けば、失業率はさらに高くなります。また、専門あるいは高等教育を受けた若者でも、その多くが正社員ではなく有期雇用契約しか得られず、失業保険を挟みながら食いつないでいたりします。こうした社会格差は挙げれば切りがありませんし、今や世界共通の状況です。
兎も角、社会のそこかしこに燻っている不満は、きっかけを与えられればいとも簡単に、そして不条理に外国人である私たち(あるいはそうした見た目の人々)にぶつけられることでしょう。3年前のフランス大統領選挙で極右政党が決選投票に残り、在仏の多くの外国人の背筋を凍らせたのは記憶に新しいところです。次の大統領選挙で状況は最悪のケースに陥るかもしれません。そうした社会の中に身を置くことが、果たして自分(および家族)にとって幸福なのか、このところ毎日考えています。
執筆者プロフィール:
田畑 俊行(たばた としゆき)
エンジニア。1983年兵庫県生まれ。京都大学工学部物理工学科を経て、東京大学大学院工学系研究科にて博士号(工学)を取得。その後、2013年に渡仏。原子力代替エネルギー庁電子情報技術研究所の研究員(ポスドク)を経て、現在はパリ近郊の半導体技術関連のベンチャー企業にて研究開発チームを率いる。