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コラム

キルゾーン〜城は何のためにあるか 第2回
敵兵を殺傷する軍事施設という本質

日野 真太郎

「城は、敵兵を合理的に殺傷するためにあるんですよ−−−−」。これは、私が城巡りの活動で皆さんによくお話していることで、本連載のメインテーマである「キルゾーン」の由来です。

「キルゾーン」とは、一般的には敵兵を殺すための場所という意味で、野蛮なタイトルだと思われるかもしれません。しかし、メインタイトルの「城は何のためにあるか」の答えがまさに「キルゾーン」なのです。

皆さんは、日本国内で城址が何カ所あるかご存知でしょうか。インターネット上では、2万から3万という数字が見受けられます。これらの出典は明らかではありませんが、私の手元にある『日本城郭体系』(新人物往来社)という城好きにとっての“バイブル”によると、たとえば福岡県は700余り、埼玉県は400余りの城址が載っています。したがって、全国47都道府県を合わせれば、前述の2、3万という数に上ってもおかしくないと思います。

『日本城郭体系』には城址が何カ所載っているのかと疑問をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、この本は全20巻あり、1980年に刊行されため、全巻を手に入れるのが極めて難しく、まだ調べきれていません。

では、こんなに多くの城は何のために造られたのでしょうか。
皆さんも城に行かれて、深く掘られた堀や高く積まれた石垣、立派な天守をご覧になったことがあるでしょう。これらの城は多くの場合、戦国時代から江戸時代に築かれています。つまり、堀も石垣も天守も、人力で造られているわけで、途方もないコストがかかっているのです。なぜそこまでして城を築いたのか。

目的は色々あると考えられます。たとえば、織田信長が築いた安土城(滋賀県近江八幡市)は従来と異なり、見せるための城だったのではないかという話は有名です。とはいえ基本的には、軍事施設としての目的が主だったと考えられます。つまり、城の本質は「敵兵を効率良く殺傷すること」です。

たとえば、日本に5つしかない国宝天守である彦根城(滋賀県彦根市)を見てみましょう。彦根城に訪れた多くの人が通る経路では、御殿の前を通って入城し、廊下橋の下をくぐって天秤櫓を通り、本丸に到着します。本丸に入ってすぐに見えるのが天守。風雅な姿が目に飛び込んできます。

彦根城
(2011年8月筆者撮影)

この天守に登り、琵琶湖とその向こうに広がる比良山地を眺めて満足され、来た道を戻るのが一般的です。しかし、彦根城の本当の「顔」は、天守を本丸と逆側から見るとより明らかになります。その姿がこちらです。

(2011年8月筆者撮影)

どうでしょうか。城の機能云々など知らなくてとも、本丸側から見る風雅な姿と打って変わって、要塞以外の何物でもないという存在感を感じられるのではないかと思います。

少しご説明すると、切り立った石垣の上にある写真左手の櫓と右手の天守にある黒い窓は、正面から攻め寄せる敵兵を銃で殺傷するためのものです。いかにも天守と櫓がこちらに牙をむいているという印象ですが、いかがでしょうか。城に登る際はいつも攻め手の気持ちで臨んでいる私が、初めてここを見たときに思ったのはまさに「彦根城は私を殺しにきている」でした。

この例からも分かるように、城の究極の目的は敵兵の殺傷なのです。現在、城巡りをする皆さんは、ほとんどそういう視点でご覧になっていないのではないでしょうか。しかし、城を巡れば巡るほど、敵兵を合理的・効率的に殺傷するための工夫がどのように設けられているかが分かってくるのです。

現存する城址の多くは、戦国時代から江戸時代初期に造られたものです。戦国時代は、多くの勢力が自らの領国を維持し、または拡大するために戦うことを厭わない時代でしたし、江戸幕府成立直後も、大名の多くは平和な世がくるとは思っていなかったのです。

当然、各勢力や大名は、自分を守るため必死で、高いコストをかけることも厭わずに軍事施設としての城郭を整備・改良します。その結果、純粋に、或いは冷酷なまでに、敵兵を殺傷する意図を持った施設や仕掛けが数多く設けられることになりました。

城巡りの一つの楽しみは、こうした意図を読み解くところにあります。城や施設、仕掛けによって「個性」が現れているからです。言い換えれば、城巡りは、設計者と対話しながら城を読み解いていく謎解きのようなものです。次回は、この謎解きに当たっての城の見方についてご説明しましょう。

〈参考〉
彦根城案内図(公益社団法人 彦根観光協会 / 彦根市観光企画課):
https://www.hikoneshi.com/jp/castle/map



執筆者プロフィール:
日野 真太郎(ひの しんたろう)
弁護士。1985年福岡県生まれ。幼少時を中華人民共和国北京市で過ごし、東京大学法学部、同大学法科大学院、滋賀県大津市での司法修習を経て、2012年より東京で弁護士として執務。企業間紛争解決、中華圏を中心とする国際法務全般及びスタートアップ法務全般を取り扱う。趣味は城巡りを中心とする旅行で、全国47都道府県を訪問済。好きな歴史上の人物は三好長慶と唐の太宗。

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