真山メディア
EAGLE’s ANGLE, BEE’s ANGLE

テーマタグ

コラム

キルゾーン〜城は何のためにあるか 第4回
謎解きとして楽しむ城巡り--ミクロの視点から

日野 真太郎

前回、城の謎解きをするための〈マクロの視点〉についてご説明しました。今回は、「なぜその丘の上に城を築いたのか」といった、城自体の構造に着目する〈ミクロの視点〉について論じたいと思います。題材は、第2回で登場した彦根城(滋賀県彦根市)です。

今回は、彦根城天守北側に位置する井戸曲輪(くるわ)に注目します。曲輪とは、城を構成する区画をいい、土塁、石垣、堀などで区切られています。また、井戸などの水源を含む曲輪は、水手曲輪(みずのてぐるわ)といい、井戸曲輪もその一種です。
彦根城案内図(注1)を見ると、天守の右側にある黒門橋から黒門山道を登ったところにある西の丸手前のスペースが井戸曲輪です。

おそらく多くの観光客が、表門橋を通り、天秤櫓を通って天守を見たらUターンして帰ってしまうからなのでしょうか、案内図で触れられていないのが残念ですが…。なお、後述する彦根城縄張図(注3)では井戸曲輪に触れられているので、そちらもご参照ください。

さて、実際に現地を歩くと、小さな門の跡があり(写真①)、この奥に広がるスペースが井戸曲輪です。

写真①
写真① 2011年8月筆者撮影(以下同)

井戸曲輪を通り抜けると、西の丸に至り、天守の美しい全景が目に飛び込んできます(写真②)。

写真②
写真②

井戸曲輪に足を踏み入れると、U字カーブ状の登り坂があります(写真③)。

写真③
写真③

この井戸曲輪を天守の横の櫓から見下ろすと、全体がより分かります(写真④)。

写真④
写真④

さらに詳しく図示します(図①)。

図①
図① 筆者作成。灰色が石垣、肌色が現在の通路、白色が櫓や塀を指す

現在の彦根城井戸曲輪の構造は上記の通りです。
では、なぜこのような構造になっているのでしょうか。謎に挑んでいきましょう。

現在残っている城のうち、往時の建物がそのまま残っている「現存天守」は日本国内で12カ所しかありません。天守に限らず、城の建物である天守、門や櫓は明治時代以降取り壊されたり、売り払われたり、或いは太平洋戦争の空襲で焼失しています。彦根城も例に漏れず、一部の櫓等は失われています。そのため、まず往時の構造を解明する必要があります。当時の絵図を参考にしてみましょう(注2)。

彦根城の絵図は、彦根市のウェブサイトで見ることができます(注3)。これを見ると、どうやら江戸時代の井戸曲輪の周囲は、櫓と塀で囲まれていたようだと分かります。それを勘案したのが、図②です。

図②
図②

ここからが謎解きの本番です。
城の目的は、敵兵を効率的に殺傷するためのものです。そこで、攻め上がってくる敵兵に対して、防御側は何ができるかを考えてみましょう。
肌色の山道を登ってくる矢印が敵兵の動きです。敵兵は、城の中心部にある天守に向かおうとしているわけですから、まずは井戸曲輪の入口の門を破り、制圧した後、西の丸の門に攻め入ろうとするでしょう。

これに対して防御側は何をするか。
当時の飛び道具は火縄銃や弓矢ですから、これを使って敵兵を殺傷しようとするでしょう。そのために櫓や門には窓が付いており、塀には、「狭間」と呼ばれる穴が開いています(写真⑤⑥)。

写真⑤
写真⑤ 櫓門の窓の例:福島県二本松市の二本松城(2015年9月筆者撮影)

写真⑥
写真⑥ 狭間の例:福島県白河市の白河小峰城(2015年9月筆者撮影)

では、このような飛び道具が、井戸曲輪に侵入した敵兵に対してどのように放たれるのか。これを赤線で図示してみました(図③)。赤矢印を写真④に被せてみると、図④のようになります。

図③
図③

図④
図④

つまり、井戸曲輪に入ってきた敵兵は、さらに西の丸への門に向かおうとすると、三方から攻撃を受けることになるのです。いざ門の前に立つと、門の上の櫓からも撃たれる可能性がありますので、四方から攻撃を受けます。

ぜひ想像力を逞しくしていただきたいのですが、四方から攻撃を受ける中で自分の目の前には門と石垣がそびえている状況は、いかにも絶望的ではないでしょうか。当時、竹を束ねた「竹束」で火縄銃を防いでいたようですが、三方又は四方から攻撃を受けると竹束でも身は守れず、防御側が十分な射手を確保していれば、正攻法では門は破れないように思われます。

ところで、前回取り上げた豊臣秀吉による山中城攻めで、先鋒を務めた中村一氏隊で奮戦し、功を挙げた渡辺了(勘兵衛)は、江戸時代になって当時のことを回想記として記しています。そこには、山中城の三の丸の門の前で、たくさんの味方が鉄砲の銃火に倒れる記述があります(注4)。まさに門の前は、防御側が最も力を入れる敵兵にとっての死地、つまり、キルゾーンなのです。

彦根城の井戸曲輪には、他にも工夫があります。たとえば、西の丸に入る門は、井戸曲輪に入る門からは見えない位置にあります。敵兵は、彦根城の構造をすべて分かっているわけではありませんから、門を入って左右どちらに行けばいいのかすぐには判断できません。このように、敵兵の視界を意識した「縄張り」(城の塀などの配置)は、よく見られます。

また、井戸曲輪から西の丸に入るには、写真③のU字のカーブを進むことになります。道を蛇行させると、敵兵が攻め上がるのに時間を要するほか、井戸曲輪の入口側の門の位置からは西の丸入口の門を射撃できないので、大鉄砲や大筒などの建物を破壊する火器に門が破壊されることを防ぎます。さらに、敵兵が攻撃しようとすれば、天守側に背を向けるしかないため、敵兵の背を狙える等、防御側には複数のメリットをもたらします。
このように、井戸曲輪一つとっても、防御側の様々な意図がそこに潜んでいることが見て取れます。

以上のように、ミクロの視点での謎解きは、城の現場に立ち、現況を把握したうえで、往時の構造を想像或いは確認し、なぜそのような構造になっているのかを読み解くという流れで行います。

今回の彦根城は、石垣や天守、櫓が残っており、絵図もあるので謎解きの難易度は低いのですが、建物が残っておらず、石垣もないような城址(普通の山にしか見えないような文字通りの城の址)では、その難易度は高まります。いずれにせよ、このような視点を持って城を訪れると、防御側の意図という、今までと違うものが見えてくるのではないでしょうか。


注1:彦根城案内図(公益社団法人 彦根観光協会/彦根市観光企画課)
https://www.hikoneshi.com/jp/castle/map

注2:往時の姿は、他にも明治時代に撮影された写真に残っているものがあります。『レンズがとらえた幕末日本の城』(山川出版社、2013年)では、全国各地の城について、現存していない建物の写真を見ることができます。

注3:彦根城縄張図(彦根市)
https://www.city.hikone.lg.jp/material/images/group/4/c_pic02.jpg

注4:西股総生『戦国の軍隊』(学研パブリッシング、初版2012年)第1章によります。なお、同書自体が大変知的好奇心を刺激される内容になっていますが、特に第1章は、戦国時代の城攻めのリアリティを知ることができお薦めです。

〈参照文献〉
三浦正幸『城のつくり方図典』(小学館、初版第7刷、2012年)



執筆者プロフィール:
日野 真太郎(ひの しんたろう)
弁護士。1985年福岡県生まれ。幼少時を中華人民共和国北京市で過ごし、東京大学法学部、同大学法科大学院、滋賀県大津市での司法修習を経て、2012年より東京で弁護士として執務。企業間紛争解決、中華圏を中心とする国際法務全般及びスタートアップ法務全般を取り扱う。趣味は城巡りを中心とする旅行で、全国47都道府県を訪問済。好きな歴史上の人物は三好長慶と唐の太宗。

あわせて読みたい

ページトップ