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コラム

キルゾーン〜城は何のためにあるのか 第9回−4
防御施設はどう配置されているのか ④郭・曲輪

日野 真太郎

今回説明する郭/曲輪(くるわ)は、城の中にある土塁や塀、門等によって囲まれた独立したスペースのことを言います。中世山城では「郭」と書き、近代城郭では「曲輪」と記載されることが多いようです。城は、複数の郭・曲輪が、堀や土塁・石垣を介して接続されて構成されています。

近代城郭の曲輪には、「本丸」や「二の丸」、「西の丸」のような名称が付けられていることが多いのですが、ここの「丸」というのも曲輪と同じ意味です。したがって、日本の城下町で見られる「丸の内」という地名は、城の曲輪の中にあるという意味であり、もともとは城の一部であったことの表れです。

熊本城の本丸を宇土櫓から見る(2011年9月)

「本丸」は、城の本拠地で司令部が置かれる場所であり、「二の丸」「三の丸」「西の丸」などは、「本丸」との相対的な関係に基づいて名付けられています。近代城郭では天守や本丸御殿等が建てられ、城の中心がどこか明確ゆえに成り立つ呼称です。

一方、中世山城では、本丸に対応される概念として「主郭」がありますが、実際に行ってみると、どこが「主郭」なのかよくわからないことが結構あります。これは、平地に位置することが多く、計画的・人工的に曲輪を並べやすい近代城郭に対し、中世山城には地形的な制約で整然と郭を並べにくいことに原因があると思われます。

加えて、大名が家臣を統率するという秩序が完成していた近代では、大名が居住するスペースを「本丸」と位置づけられるのに対し、支配領域内の勢力の家臣化が未完成の中世では、秩序を分かりやすく示す縄張りを作れなかったということもあろうかと思います。これは、城内に大名とその家臣が居館を有することを前提にした議論ですが、中世山城は、そもそも家臣が居館を有しなかったり、有事の際に限って利用したりするものも多くあります。

郭・曲輪は、基本的には兵士が籠城する際に占有する、一定の広さを持った削平地ですが、近代城郭においては、居住・施政スペースになることもありました。また、曲輪以外に、帯曲輪・腰曲輪と呼ばれる補助的なものもありました。帯曲輪とは、曲輪の周りに付された細長い曲輪を言い、腰曲輪とは、帯曲輪より短いものを指すとされますが、両者の区別は曖昧です。どちらも曲輪より下の斜面の途中に作られた削平地に設けられた踊場のようなもので、そこから斜面を登ってくる敵を迎撃したり、味方の移動を便利にしたりする機能を持っていたものと思われます。

図で見ると、帯曲輪や腰曲輪は敵の足場となってしまうようにも思えます。しかし、現地に行けば分かりますが、斜面があまりに高いと下の敵を狙うのが難しいですし、腰曲輪が陥落したとしても、さらに上の曲輪から敵兵を狙うことができます。また、実際の山城では、腰曲輪が複数連なっていることが多いのですが、そこに十分な兵士を配置すれば、敵の進軍を相当程度足止めできると考えられます。



〈参照文献〉
『城のつくり方図典』三浦正幸著、小学館、2005年


〈執筆者プロフィール〉
日野真太郎(ひの しんたろう)
弁護士。1985年福岡県生まれ。幼少時を中華人民共和国北京市で過ごし、東京大学法学部、同大学法科大学院、滋賀県大津市での司法修習を経て、2012年より東京で弁護士として執務。企業間紛争解決、中華圏を中心とする国際法務全般及びスタートアップ法務全般を取り扱う。趣味は城巡りを中心とする旅行で、全国47都道府県を訪問済。好きな歴史上の人物は三好長慶と唐の太宗。

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