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巴里日記_9
〜暗い一年、せめてノエルだけは

田畑 俊行

昨年の秋以降、フランス社会は新型コロナウイルス新規感染者数の増減に日々一喜一憂する傍ら、様々な事件に揺らいでいました。

その中でも、特に印象に残っているのは、パリ郊外の中学校教師が殺害されたテロです。昨年10月に発生したこの事件では、「表現の自由」を説いた授業の内容に関して不満を持つある生徒の親が、その内容を担当教師の実名と学校の所在地をつけてネット上にさらし、過激派組織のメンバーによる殺害の実行につながったとされています。

コロナ禍ですでにどん底まで沈んでいた中、この事件はフランス全土に過去のトラウマを思い出させました。また、テロがSNSと結びつくことで人々の日常のより近いところへ入り込んでくるという事実に、多くの人が恐怖しました。

私も事件の起こった街からそう遠くないところに住んでいますが、いつどこで誰に何を聞かれているかわからないので、些細な言動にも以前より神経質になりました。

その後11月には、4人の警察官が黒人男性を殴打、この動画がインターネットで拡散されると、市民の怒りを買いました。同時期に検討されていた、警察官に対する動画撮影を禁止する法案への反発に繋がり、全国的な抗議デモが行われました。

師走に入ってからは、市民の関心はもっぱらノエル(クリスマス)休暇の過ごし方にありました。フランスでは10月末から全国的にロックダウンが施行されていましたが、政府は、外出制限緩和の条件として、直前での一日あたりの新規感染者が安定的に5000人以下という目標を設定しました。結果的には、この目標は達成されなかったのですが(今日でも一日2万人程度の新規感染者が出ています)、政府はロックダウン(外出には証明が必要)を解除し、代わりに門限(夜間のみ一律外出禁止)を設けることで緩和措置を実行しました。

実は、先の警察の暴力事件に関連して、告発された警察側も一方的かつ一部過剰になりつつあった警察批判を不服として、労働組合がロックダウン中のコントロール業務のボイコットを呼びかけていたので、許可証携帯の義務はほとんど形骸化しつつありました。私の周囲では、ノエル休暇で国内の田舎に帰省するという人が結構いたなという印象です。

日本のように、都会からの帰省者が地方で白い目で見られるという心配は特に耳にしませんでした。政府としても、家庭内での過ごし方のガイドラインは出したものの、警察が一軒一軒確認して回ることはないと公言、基本的には国民の規律にまかせる姿勢を通しました。国中が暗く沈んでいる中、「せめてノエルだけは」という思いからでしょうか。

私の年末年始はというと、もちろん今回は日本に一時帰国する予定もなく、ずっと自宅に引き篭もっていました。残っていた有給休暇を使って2週間ほどの休みにしていたのですが、仕事用のパソコンを開きもせず、家の片付けや、調子の悪かった暖房器具の修理、たまたま委員になってしまったアパートの管理組合の年次総会の取りまとめ(今回は郵送での投票と議事録作成のみ)などなど、普段なら後回しにするようなことばかりを率先してやっていました。

コロナで在宅勤務がメインとなった影響があるかもしれませんが、仕事と私生活のスイッチの切り替えが以前よりうまくできるようになったと感じています(これまではワーカホリックでした)。時折買い出しに出かけると、大型スーパーなどは人で賑わっていて、引き篭もり生活に少しばかり活気を分け与えてくれます。

フランス滞在8年目にして、ノエルを過ぎるとフォアグラの叩き売りをやると初めて知りました。無論私も一つ購入したのですが、せっかくだからと思い立って人生で初めて自分でパン・ド・カンパーニュを焼いてみました。

2021年も、まだしばらくはこんな生活が続くのかとふと沈んだ気持ちになってしまうこともありますが、賛否はあれど流通しはじめたワクチンをきっかけに、世の中にまた少しずつ人の動きが増えてくると良いなと思います。

初めて自宅で焼いたパン・ド・カンパーニュ。フランス語で鐘(クロッシュ=Cloche)と呼ばれる専用焼き器を使います。

執筆者プロフィール:
田畑俊行(たばた としゆき)
エンジニア。1983年兵庫県生まれ。京都大学工学部物理工学科を経て、東京大学大学院工学系研究科にて博士号(工学)を取得。その後、2013年に渡仏。原子力代替エネルギー庁電子情報技術研究所の研究員(ポスドク)を経て、現在はパリ近郊の半導体技術関連のベンチャー企業にて研究開発チームを率いる。

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