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対談

公衆衛生の観点から、新型コロナ禍の今、記憶し、記録すべきこととは
高橋謙造×真山仁 対談02

真山 仁

公衆衛生のイメージ

真山 私自身、高橋先生にお会いするまで、「公衆衛生」と聞いたときのイメージは、公共の衛生上の問題解決や、予防注射くらいしかなかった。しかし本来の「公衆衛生」は、先を読む力が必要であり、現代では世界の情勢や最先端の論文も読めないようではダメだと分かり、医療の中で一番グローバルな視点が必要なのは、公衆衛生なのではないかと思い始めています。

正しく、多くの人に理解してもらいたいのですが、公衆衛生にとって絶対に譲れない大事なところは、どこにありますか?

高橋 集団を守り、全体としての集団を壊滅させないのが一番大事です。個人ではありません。

そういう意味では、公衆衛生が言う通りに動いていたのに、うちの家族が死んでしまったから、あの公衆衛生のやり方はダメだ、という判断にはなりません。個人に対応するのは医療であり、公衆衛生には、集団の健康を守るというところに、一番のポイントがある。どちらも重要なんです。
個人として見れば、集団を良い方向へ動かしていくことによって、全体に病気自体の流行を食い止められれば、結果として個人を守ることに繋がるという理屈です。

つまり、予防医療と公衆衛生はほぼイコールですが、違う点を挙げるとすれば二つあり、一つは公衆衛生は政策的な観点から見る必要がある。もっとも、政策論が巡り巡って予防に繋がっていくわけですが。

真山 なるほど、アプローチが政策から入ってくるわけですね。

高橋 いわゆる産業医と呼ばれる人たちも公衆衛生の延長線上にあります。最終的にポイントをどこに置くかは人によって違いますが、工場や企業の生産性を上げることにつながります。

真山 日本は、世界的に見ても清潔な国だし、予防接種もある程度公費で行っている。それでも、新型コロナウイルスによって亡くなる人が出ています。
これからの公衆衛生は、予防だけでなく、もっと攻めていく必要があると思うのですが、具体的にどのように攻めればよいでしょうか?

高橋 日本はもはや世界の中心ではないので、少なくとも常に情報を新しいものにアップデートし続ける必要があります。常に新しい情報を追い求め、探さなければならない。さらに、その情報が正しいかどうか、信頼できるものなのかを確認していかなければいけない。そのためには、たくさん論文も読み込まなければいけないし、トレーニングも求められますから、簡単なことではありません。

真山 となると、公衆衛生の専門家は医師であることが望ましいですか?

高橋 とは限りません。
むしろ、臨床経験を積んできた医者だと、個人の患者に対する臨床的な考え方が先行しがちなので、公衆衛生を考えるうえで、必ずしもいいとは限らない。先ほどもお話したように、公衆衛生については、集団的な目が必要だからです。

真山 公衆衛生の分野をもっと強化するためには、若い優秀な人材をいかに取り込むかが重要です。彼らが公衆衛生を学ぶ機会に繋げるには、どうしたら良いですか?

高橋 公衆衛生のやりがいや意味を、もっと打ち出していかなければいけない。今のところ我々は、それが上手ではないのは事実です。
歴史的に見ると、日本において公衆衛生は、医学教育の中の、医学部のピラミッド構造の中のごく一部となってしまっているのです。

いま私が所属している、帝京大学の公衆衛生学研究科は医学部とは別に、並列で存在します。逆にいうと、帝京大学医学部の中にも公衆衛生の教授は別にいます。

真山 ということは、どちらかというと、高橋さんのやっていることは医学的というよりも、政策的なものに寄っているということですね。
日本公衆衛生学会のメンバーはやはり医者が圧倒的に多いのですか?

高橋 医者ももちろんいますが、看護師や保健師も多いですね。現場の人たちがいるというのは強いと思います。

私達のところには、全然関係なかったビジネス分野から、公衆衛生を学びに来る学生もいます。今一番白眉なのは、ビジネス分野で10年以上活躍してきたあと、退職して、子育てをする傍らで学びに来ている人です。
医療については素人同然ですが、あっと言う間に知識を身に着け、とてもいい視点で取り組んでいて、優れた仕事をしています。

真山 高橋さんの研究科で、医師国家試験を通った学生はどれくらいいますか?

高橋 私の所属している研究科は十数人の教員がいて、そのうち一人は研究科長でリーダーです。研究科長を含めて教員全員にピラミッド構造がなくフラットな立場で、複数いる教授のうちの一人が私です。
学生は70人くらいいて、そのうち医者は20人いるかどうかです。保健医療職出身が圧倒的に多くて、あとは製薬会社の人や、全く別の社会人経験を持った人などです。

真山 公衆衛生を専門職として捉えるためにも、資格があったほうが、モチベーションが上がりませんか?

高橋 資格というか、うちが出している修士号は「マスター・オブ・パブリックヘルス(MPH)」で、このMPHが名刺に書いてあると、欧米では「この人は公衆衛生の実務ができるんだ」と見てもらえます。欧米では、医師ではないMPHがメジャーです。

真山 ということは、日本は公衆衛生について、かなり遅れているのですね。

公衆衛生の専門家には、適材適所の人の配置や、応対の緩急が重要ですから、コーディネート能力に長けた人が必要だと感じます。
個人の技量がいくら高くても、プロジェクトを束ねる能力、マネジメント能力が欠けていると、公衆衛生の専門家としてはやっていけないのではないでしょうか。

高橋 そもそも医者も、40代半ばからは別の能力を求められるようになってきます。臨床能力、対患者さんの能力だけではなく、マネジメント力が必要で、いい意味の総合力がないと、医者としてもやっていけません。

真山 一方で、対象が幅広いのも大変ですよね。衛生や予防に加えて、感染した場合の対策もしなければいけない。

高橋 逆に言うと、幅広く学んでいれば、つぶしが利くというところもあります。

真山 ひどい言い方ですが、感染症は、医学界の中でトレンドではないですよね。再生医療を筆頭に、最先端の分野に関わりたい医者が多い一方で、以前なら憧れの的だった外科医が「自分の時間がなくなる」と敬遠されている。そんな中で、感染症のような分野は地味で魅力がないと思われているのかな、という気がします。

高橋 それは、長らく日本の医学界の大欠点としてありますね。私は1994年に医学部を卒業して、小児科を専攻したのですが、当時東大の教授たちに「これからは高齢化社会だから生活習慣病やガンに関わる内科が主流となり、小児科や産婦人科医は落ちこぼれが行くところ、感染症などは抗生物質ができた現代日本ではほとんどやっても意味ない」と言われたものです。

真山 原発事故のあとにも、原子力の専門家が減っていることを痛感しましたが、同じような状況ですね。そうした綻びを放っておくと、穴が空いたときに大きな事態となり、手がつけられなくなる。

本来は、無駄と思われていてもやり続けることが必要なことを、国が見極め、やり続ける体制をつくるのがすごく大事。新型コロナが収束したとしても、今後も新たな感染症は必ず起きうるのだから、感染の専門家として生きていけるだけの仕事を用意するべきです。

高橋 私は福島県出身なのですが、学生の頃に遊びに行ったことがある友だちの両親が教師で、岩手県でいわゆる「津波てんでんこ」の避難訓練を続けていることを、どこかバカにした口調で話していたのを、なぜかよく覚えています。しかし東日本大震災では、そのお陰で子どもたち約8000人が生き残った。
過去の災害を教訓とし、備えを続けてきたことは意味があったのです。ぱっと見は地味なことであっても、準備し続ける大切さを実感しました。そういうような存在なのですよね、公衆衛生も。
(次回へつづく 全4回)



高橋 謙造(たかはし けんぞう)
帝京大学大学院 公衆衛生学研究科教授
東京大学医学部医学科卒、小児科医、国際保健学修士、医学博士。専門分野は、国際地域保健学、母子保健学、感染症学。

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