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コラム

「世界」を読む no.12
北大西洋の島国アイスランドで繰り広げられる静かで深いミステリー〜『印(サイン)』より

加賀山 卓朗

新刊が出るとかならず読む(読まずにはいられない)作家がいて、北大西洋の島国アイスランドのアーナルデュル・インドリダソンもそのひとり。アイスランドは、世界の絶景といった企画でもよく取り上げられるし、IT・金融に力を入れた政策や地熱発電も興味深く、行ってみたい国のひとつだ。総人口は35万人ほどで(東京都の北区と同じくらい)、首都レイキャヴィクにその3分の1が住んでいる。

そのレイキャヴィクの警察官エーレンデュルを主人公としたシリーズの第6作『印(サイン)』(柳沢由実子訳、東京創元社)を読んだ。死後の世界や心霊現象に深い関心を抱くひとりの女性が自殺した事件をめぐって、エーレンデュルが公式の捜査ではなく、個人的興味から真相を探っていく物語だ。訳者あとがきによると、アイスランド人は幽霊などの超自然現象が大好きらしい。霊媒師や降霊術もわが国よりずっと身近なのかもしれない。

そういう地域特有の環境や社会状況が話の筋に(ときには犯行の動機にも)かかわってくるのがこのシリーズのおもしろいところだ。いかにも北の島国らしく、風の言い方がいろいろあるというような雑学も楽しい(ノルダンガリは「狂った北風」、ウートシニングルは「正気を失った風」)。

エーレンデュルは、つき合っている女性から、外国旅行に行きたくないのか、エッフェル塔やビッグベンを見たくないのかと訊かれて、アイスランド東部に行きたいと答え、「そこが俺のエッフェル塔なんだ」と答えるような男だ。頑固で人づき合いが苦手なところや、家族の人間関係がややこしいところなど、2015年に亡くなったスウェーデンの人気作家ヘニング・マンケルの刑事ヴァランダーに雰囲気が似ている。訳者が同じ柳沢さんだから余計にそう思うのかもしれないが、北欧の警察小説の典型的なキャラクターでもある。

本筋とは関係のない小さなエピソードに味があるところも、マンケルを想起させる。たとえば、夜スーパーマーケットから帰る途中で殺害された女性の話。たまたまその日は、ハンドバッグに娘の誕生日のプレゼントを買うお金を入れていて、犯人に奪われまいとしたことで殺されてしまった。偶然に偶然が重なったゆえの死が妙に丁寧に語られていて、印象に残るのだ。

派手なアクションは皆無。静かで深いミステリーが好きならまちがいなく楽しめると思う。これから読まれるかたには、とくにシリーズ第1作『湿地』と第3作『声』をお薦めしたい。


【執筆者プロフィール】
加賀山卓朗(かがやま・たくろう)
1962年生まれ。翻訳家。おもな訳書に、『スパイはいまも謀略の地に』(ジョン・ル・カレ)、『ヒューマン・ファクター』(グレアム・グリーン)、『夜に生きる』(デニス・ルヘイン)、『大いなる遺産』(チャールズ・ディケンズ)、『チャヴ』『エスタブリッシュメント』(オーウェン・ジョーンズ/依田卓巳名義)などがある。

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