スペシャル
『面白くて痛快! スパイ小説の源流をたどる旅』後編
最新刊『トリガー』(KADOKAWA)刊行記念 真山仁トークイベント
2019年9月19日@ジュンク堂書店池袋本店
日韓を舞台にした謀略小説『トリガー』刊行を記念して行われたトークショー。日韓関係についての想いから謀略小説の魅力、そして、おすすめ作品の紹介まで盛りだくさんの内容を前後編にわたりご紹介します。
聞き手:郡司聡(KADOKAWA)
★一度は読んで欲しいスパイ小説3作★
①フレデリック・フォーサイス『ジャッカルの日』(角川文庫)
郡司 今回、真山さんの好きなスパイ小説を3冊紹介してもらいました。それらについてお話しをしていきたいと思います。
真山 1冊目の『ジャッカルの日』はフレデリック・フォーサイスの小説で、ド・ゴール仏大統領の暗殺をテーマにしています。舞台は1960年代です。71年に出版されたので、現実にド・ゴールは暗殺されていないのを読者は知っています。それにも関わらず、物語が圧倒的に面白いのは、暗殺者ジャッカルや彼を追い掛けるルベル警視が、とても魅力的だからだと思います。暗殺者は自分の目的を達成するために、容赦なく人を殺していくのですが、そのドキドキ感がたまらない。しかも、小説内の出来事がすごく短い時間で描かれています。
郡司 本人も1週間で書いたと言っていました(笑)。
真山 スパイ小説は大きく分けると、難解でとても読みにくいものと、ハラハラドキドキしながら読めるものと2つのタイプがあって、『ジャッカルの日』は後者ですね。
郡司 フォーサイスは自身がジャーナリストだったこともあり、世界中を舞台にしていますが、実際に書いている場所にはほとんど行ったことがあるそうです。
真山 アフガンにも行ったそうですね。現場を踏めばいいというものでもありませんが、フォーサイスのような人は、傭兵の集め方や戦術など裏の世界を知っているので、現場に行くことでリアリティがかなり増します。
郡司 「知らないと説明しようとして余計に書いてしまう」そうですね。知っていれば1行で済むのに、知らないと10行書いてしまう。
真山 僭越ですが、私もまったく同じです。行ったことがないと不安でたくさん説明してしまう。行ったことがあれば、そこで感じた音や風、匂いなどを知っているから、何を伝えればいいかがわかります。
②ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』(ハヤカワ文庫)
真山 フォーサイスと正反対なのがジョン・ル・カレです。彼も英国の情報機関にいたことがあり、スパイだったそうです。
『寒い国から帰ってきたスパイ』はベルリンの壁があった頃に、壁の向こうに行ってやり遂げなければならないミッションを描いています。この小説が出てから、スパイ小説はミステリーの領域のなかで最高峰に位置付けられるようになりました。
くどくど書いているわけではないのですが、東ベルリンにいるときの恐怖感がヒタヒタと迫ってくる感じがすごい。
郡司 だいぶ前に読んでいたので、今回のトークイベントにあたりまた読み返したのですが、ほとんど一人語りでとても濃密でした。
今はもうベルリンの壁がないので、あの緊張感はありませんが、スパイはあんな感情を持っているのかと思いました。
真山 あらゆるものを騙しますね。とくにコントローラーという、後ろで操る工作官の冷徹さと、彼に指示されて最前線にいる人間のサバイバル感の対比が鮮烈です。つい情が湧きます。
郡司 普段感情を押し殺している主人公だけど、どこかで感情が動くところがあって、それが命取りになってしまう。
真山 『寒い国から帰ってきたスパイ』は1963年に出版されましたが、最近になってこの続編『スパイたちの遺産』をル・カレは書きました。『寒い国から』の登場人物の子供達が出て来て、「うちの親に酷いことをした国を訴える」というとんでもない話で(笑)。
よくよく考えると、国のために命をかけるということが、今の時代は通用しない。
郡司 殉死に近いのですが、隠密なので公には出ません。
真山 スパイだったと公にされてしまうので、年金も出ないから、残された人は見舞金を少しもらっただけで生きていかなくてはならない。スパイ小説の巨匠が、それを書くのかという驚きがありました。
また、先ほどお話ししたようにハラハラドキドキさせるのがフォーサイスで、その真逆にいる難解な小説を書いてきたル・カレですが、『寒い国から帰ってきたスパイ』は彼の初期の作品としてはかなり読みやすいほうです。
それに比べて相当読みにくいのが、ゲイリー・オールドマンが主役を演じた、英国諜報機関を描いた映画『裏切りのサーカス』の原作である小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』です。英国諜報部の幹部に“モグラ”がいることが分かり、それを潰さないといずれソ連の攻撃にあうので、当時の“チーフ”が正体を炙りだす作戦をする。
何しろ、改行や会話文がほとんどなくて、時間も場所もあちこち飛ぶので、とても読みにくい。私が同じように書いたら編集者に却下されそうなものですが、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』はスパイ小説の金字塔とされています。
郡司 ページが半分進んでも話が進んでいないので、確かに私も却下するかもしれませんね(笑)。
真山 英国の秘密情報部(MI6)のナンバー2くらいの地位にいたキム・フィルビーが、戦後直後からソ連の二重スパイでかなりの情報を流していた。この事実をベースにしているのですが、読み進めてもなかなかその気配がしない。
スマイリーという主人公がとても暗い人なんですが、美人の奥さんがいて浮気を疑っている。そういう話がずっと続いていくのですが、ル・カレファンほどこの小説を“語り”ます。
もう一つの代表作と言われる『パーフェクト・スパイ』も大作ですが、3回読んでようやく内容が分かりました。世界で絶賛された本なのですが、20代、30代ではそれが理解できず、50代になって改めて読んでそのすごさが分かったのです。
年齢を重ねていろんな経験をしたことによって、味わいが変わりますね。ストーリーそのものはそれほど動きがないのに、上下巻なのです。最初は苦行で、読んだことしか自慢できなかったものですが。
郡司 確かに純文学のようで、修業のように読むほどに味わい深く、まるでスルメのような癖になる感じもします。
真山 確かに、苦行だといいつつも私もル・カレの作品はすべて読んでいますから、癖になっていますね。
英国の小説家は、歳を取ると進化するのがもうひとつ重要なポイントです。数年前に亡くなった、ミステリーの女王P.D.ジェイムズも好きな小説家のひとりなのですが、彼女の小説も改行がなくて読みにくいのが特徴でした。ところが、80歳前後から、書いた作品がとても読みやすくなりました。
ル・カレも70代後半で、映画にもなった『ナイロビの蜂』を書きましたが、驚くほど読みやすい。
郡司 確かに全盛期は70代かもしれないですね。
真山 読みやすさだけじゃなくて、20代の若者を瑞々しくお書きになる。
登場人物は、年寄りを書くほうが楽なのです。人生いろいろ経験してきているので、過去を上手に引っ張り出してくると、その人がいくら変節しても、その人物の本質が分かるため、読者にもリアリティを感じてもらえます。20代の人が“挫折”を書こうとしても、実体験として持っているのは失恋、DV、受験、就活くらいしかない。
ところがジェイムズやル・カレの作品に登場する、自分の孫より若いだろう子達は、なぜこんなに瑞々しいのかと驚くほど、活き活きと描かれています。
昔は今よりも、物語の重厚さが優先されていた時代だったことも影響していると思います。グレアム・グリーンの『ヒューマン・ファクター』のように文学的な格調や深みのあるスパイ小説がありましたし、レン・デイトンのように独特な文体でスパイ小説を書く作家もいたので、ル・カレも当時、スパイ小説は難解だというのを意識せざるを得なかったのだと思います。
フォーサイスがすごいのは、無さそうだけどある、ありそうで無いという境界線の話を書くのが上手です。
今回の『トリガー』は日本の小説としては登場人物が多くて複雑な内容になっているかもしれませんが、そうした海外のスパイ小説に比べたら、とても読みやすい、序の口だということを理解していただけると思います。
③ジェイソン・マシューズ『レッド・スパロー(上・下)』(ハヤカワ文庫)
郡司 3作目は『レッド・スパロー』ですが、2018年に公開された映画も面白かったですね。
真山 私も先に映画を観ました。久しぶりにスパイ映画として、先が読めない展開が続いて楽しめました。
郡司 騙し合い映画を久々に観ました。
真山 ロシアにはKGBの残党がたくさんいて、プーチン大統領になってからも仕事をしています。CIAもその対策をしています。
郡司 この作者も元CIAだったそうですね。
真山 だいたい元CIAが書くと自慢話しかしないので残念な作品が多いのですが、スパイは死んだと言われた時代にこのような物を書けるのはすごい。物語がとても上手い。
きっと現役のときは、自分が使う現場の工作員(アセット)に嘘をついてだまし込んで、自分の手柄にしていたような気がします(笑い)。
2013年に出版されたときに手に入れていましたが、ハニートラップの小説だと宣伝されていました。本当にあるかどうか知りませんが、ロシアにハニートラップ要員の養成学校があるという前提のようだったので、始めはキワモノかと思っていました。映画を観てそうではないのが分かったので、原作を読みました。
原作は、映画が子供だましに思えるほどすごい。10年に1本のスパイ小説だと思います。これは3部作の1作目なのですが、早川書房からまだ次作は出ていません。首を長くして待っています。
この小説が面白いのは、スパイがどうやって人をスカウトするかということが、徹底的に書かれています。さらに、「スパイは相手と寝てはいけない」とはっきり書いてある。寝るのはスパイじゃない。そういう気にさせておきながら「抱きたければネタを出せ」とするのが優れたスパイなのです。
また、銃を使わないインテリジェンスの物語が書かれていて、脇にいる人物達も味がある。なぜかスパイといえば英国で、米国のスパイ小説はだいたい、大雑把でがっかりすることが多いのですが、これは良かったですね。米国の奥行きの広さ、深さ、いろいろな作家が輩出される土壌があるということに感心しました。
私はスパイ小説オタクなので、ついつい自分の小説より熱く語ってしまいますが、人や事象の見方が、とても勉強になります。黒と書いてあるけど、実はすべて白なんじゃないかと考えながら読んでいく。先ほど視点登場人物の話をしましたが、登場人物に感情移入していると、その人物に裏切られたりもする。上手に書いてあるから、裏切る場面だけ抜かれているんです。
こういう海外のスパイ小説を読んでいると、どれだけ日本人がうぶで、すぐに人を信じてしまっているかがわかります。先進国なので、ある程度は交渉力を持つべきなのですが、現実には持てていないという弱点を痛感します。
郡司 英国も同じ島国なのですが、彼らは世界に出て7つの海を制覇したというところが、だいぶ違うのでしょうか。
真山 ソ連との関係もあると思います。ご存知の通り、ナチスドイツがあそこまで膨らんだのは、フランスや英国が、ナチスを取るかソ連を取るかの選択に迫られたときに、共産化(赤化)するよりは、暴君のヒトラーのほうがマシだと思ったからです。それくらい、当時はソ連を恐れていた。
ヒトラーも賢くて、ポーランドから攻めていった。
また、英国には裏切り者がたくさんいました。共産主義こそユートピアだと考えていたエリートが、たくさんいたからです。マルクスもエンゲルスも英国にいましたから。
歴史を振り返ると、ソ連と真っ向からインテリジェンスで対峙してきたのは米国ではなく英国なのです。ケンブリッジ大学やオックスフォード大学で諜報部員をスカウトし、性癖などの弱みを握ったり、共産主義への傾倒を利用したりするようなことを、長年やってきた。米国のようにお金や出世をちらつかせて裏切らせるというよりは、哲学やイデオロギーが背景にあったように思います。
郡司 英国のお家芸的なものですね。
このようにスパイ小説が大好きな真山さんが書かれた『トリガー』です。ぜひ皆さん楽しんで読んでいただきたいです。続編も楽しみにしています。
真山 ありがとうございました。
紹介した本:
★一度は読んで欲しいスパイ小説3作★
①フレデリック・フォーサイス『ジャッカルの日』(角川文庫)
②ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』(ハヤカワ文庫)
③ジェイソン・マシューズ『レッド・スパロー(上・下)』(ハヤカワ文庫)