森鷗外全集11『ファウスト』(ちくま文庫)を読んだ。
本稿の文脈でファウスト……「さては」と思われた貴方は、5月8日の午後、神奈川近代文学館で開催された『永遠に「新青年」なるもの』展のトークイベントに参加しておられたに違いない。開始早々「展示の名称はゲーテの『ファウスト』を踏まえている」と説明され、よもや一般常識なのかとひっくり返った。
当たってみようと思ったのが運の尽き。読み始めてすぐ察したことには、ページを繰ると前のことは忘れてしまう。小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』を読んだ人から聞いたのと似た感覚だが、『ファウスト』は詩みたいなものでページの下半分が白く、黒死館より格段に有利ではある。しかしながら読んでも読んでも見つからない。
ついに本文最終852ページに至り、後ろから2行目に「永遠に女性なるもの、」とあった。これがミステリで、瀬戸川猛資の言う「最後の一撃」なら凄かったんだけど(『夜明けの睡魔』参照)。
横溝正史がデビューを飾り、二代目編集長を務めた雑誌「新青年」だからこそ、展示を見に行ったのである。そしてはたと気づいた。今年がデビュー百周年だということに。まっこと蛍光灯であったと慚愧に堪えないが、後追いでも何でもいいや。記念すべき年に本稿を書いている、なんて運命的な、と言っておこう。今後「ヨコセイがどうしたこうした百年」のトピックは目白押し。二代目桂枝雀の生誕80年、歿後20年に「ひとり枝雀祭」を始めたように、「永遠にヨコセイ祭なるもの」は続くのである。
横溝正史19歳のデビュー作は懸賞小説一等入選の「恐ろしき四月馬鹿(エイプリル・フール)」、大正10年(1921)「新青年」4月号掲載。今回は同題の短編集所収「画室(アトリエ)の犯罪」を取り上げたい。筆者にとっては甲斐バンドの某名曲と不可分で、結果的に粗筋を憶えていた稀有な作品である。
今や名探偵として勇名を馳せる西野健二が、ある会合で初陣の思い出を披露する。
就職もせず従兄宅に居候していた当時25歳の健二は、幅の利く刑事だった従兄に伴われてS町の事件現場へ赴く。大会社の社長令息にして若き天才画家が胸を刺され、自宅アトリエで絶命。現場に居合わせた絵のモデル兼情人が容疑者として引っ張られる。捜査の真似事を試みた健二は、たちまち「おかしいぞ」と直感し、灰色の脳細胞をフル回転させて真相を看破。華々しいデビュー以来この道20年、何とも忘れがたい事件で……
本作は「新青年」大正14年(1925)7月号掲載、横溝正史は23歳になっている。アマチュアにこんなん書かれたらたまらんわ、と妬まれなかったのだろうか。
翌年博文館入社、翌々春には編集長に就く。「宝石」1957年12月号の「「新青年」歴代編集長座談会」などを見るに梁山泊さながら、人材の輩出ぶりは松下村塾か大学予備門かと言いたいくらい。ヨコセイの随筆や年譜からも、「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」がぴったりだなあと感じる。
「三谷幸喜のありふれた生活」(5月13日付朝日新聞)で披露された、チャプリンやビリー・ワイルダー、刑事コロンボやクリスティーとの出会い、「中学に入る前に僕は既に僕になっていた」のくだりからしても、名を成す人は双葉時代から香るらしい。冒頭のトークイベントに登場した芦辺拓にもその趣を感じた。考古学の分野に、石器を作った際に出た破片を継ぎ合わせることで石器本体の形を探る復元法がある。いかに困難で根気の要る作業か、何となく想像がつくだろう。同時代に購読してはいない芦辺が「新青年」を跡づけたありように、その復元法を連想したのだ。
……とくれば、忘れちゃならない人がいる。やたら理屈っぽく、他人と違うことばかり言う天邪鬼小学生だった『ハゲタカ』の著者も、ばりばり栴檀だったことは疑いない。手を焼いた教師の困り顔が目に浮かぶようである。
(詳細はhttps://mayamajin.jp/hatugen/hatugen04.html でどうぞ)
おあとがよろしいようで。
執筆者プロフィール:
伊藤詩穂子
編集者、校正者
京都府生まれ。豊中で阪神淡路大震災、東京で東日本大震災に遭遇。現在、癌サバイバーを目指して働き方改革実践中。