文藝春秋の雑誌「オール讀物」は、臨時増刊「オール讀物號」が前身で、1931(昭和6)年4月から定期刊行になったとのこと。
〈90周年記念特別号①〉と銘打たれた本年7月号掲載の鼎談(北村薫、北上次郎、戸川安宣)がめっぽう面白い。題して「目次で読む「オール讀物」と推理小説の90年」。
もちろん横溝正史への言及がありますぜ。ヨコセイの小説は「オール讀物」に20回弱登場。そのうち中編で長くはあるが御容赦いただいて、「湖泥」を今回のお題にしたい。
舞台は岡山県の僻村。神田一族は数代前に北神家と西神家に分かれ、ことごとに対立してきた。次代を担う浩一郎と康雄は同い年で、美人と評判の御子柴由紀子をめぐっても火花を散らす。北神浩一郎が結納の運びとなったが、御子柴家の生活を支えてきた西神の側も黙っていない。一触即発ムード横溢の夜、隣村へ出かけた由紀子が失踪。下駄と帯が見つかったことから湖水の捜索が始まる。指揮を執る磯川警部の傍らには金田一耕助、やがて由紀子の遺体が発見され……
挑戦探偵小説「湖泥」は1953年1月号掲載。目次には「想を練ること半歳探偵文壇の巨匠が斯界の鬼に放つ挑戦状!偽眼の全裸美女の屍を繞つて深讐の妖気覆ふ山村に捲き起る連続殺人事件」とあり、応戦者の花森安治、横山隆一、飯澤匡が謎を解く趣向。
130枚一挙掲載、豪華回答陣とくれば、新年号の景気づけ、賑やかしと考えるのが自然だけれど、そんな言葉では足りないかもしれない。1951年9月8日サンフランシスコ平和条約調印、翌年4月28日に発効して日本は主権を回復――そういう時期である。再独立を果たした最初の新年号、力が入って当然か。作中の御子柴家は上海からの引揚者という設定だが、舞鶴港に最後の引揚船が入ったのは1958年9月7日。戦争は、まださほど遠いものではなかった。
終盤に至って「作者曰く。以上でだいたい犯人捜索のデータは揃つてゐるつもりです。ひとつ金田一耕助くそくらへの名探偵ぶりをお見せください」のコメントが入り、ページを繰るとすかさず、斯界の三鬼による「挑戦に答ふ!」が並ぶ。直後にヨコセイ自身の解決篇も掲載されていて、真相への肉薄度、また的外れ度が一目瞭然である。
初出時と『貸しボート十三号』収録の「湖泥」を比べると、全体に手が入り、とりわけ解決篇部分は加筆されているのがわかる。事件の提示に関して、三氏に向けて手掛かり(目くらまし?)を盛ったのか、人物の配置や描写がやや過剰な印象を受けるが、誌面の都合で解決篇は抑え気味になったのかもしれない。ともあれ、贅沢な企画を打つものだと感心してしまう。花森安治の殊更つっかかるような筆致は気になるけれど(鮎川哲也「薔薇荘殺人事件」に寄せた解決篇でもそうだから、単に性格かなあ)。
さて、本年7月号の鼎談を愉しみつつ、これもあれも読んでいない……と、アナコンダのように長くなった課題図書リストに呆然としている。鮎川哲也「金魚の寝言」と松本清張「啾啾吟」「恩誼の紐」「式場の微笑」はクリアしたが、氷山の一角もいいとこ。「オール讀物」と直接は関係ない広瀬正『ツィス』への言及(「大佛次郎いい人じゃん!」by北上次郎)など、見過ごせないものばかり。過去読んだ作品だって憶えていないのだから、まっさらの雪、未踏の大地と言っていい。
戸川安宣『ぼくのミステリ・コンパス』(龜鳴屋)をぽつらぽつら繰りながら、どれも面白そうだなあ、と巻末の書名索引を溜息まじりで見ているときに、この鼎談。先ごろ観た映画の関係で芽生えた、三島由紀夫全集に当たってみたいなんて夢も吹っ飛ぶ。世に読書の先達が沢山いてくれることは果たして幸いなのか。速読術はあらまほしき事なり。