真山メディア
EAGLE’s ANGLE, BEE’s ANGLE

テーマタグ

コラム

横溝正史三昧〜ヨコセイざんまい09
「かいやぐら物語」

伊藤 詩穂子

ポプラ社の『百年小説』を読んだ。森鷗外から太宰治まで国内作家51人の生年順アンソロジーで、堂々1300ページを超す。筆者にとっては未読の作品ばかり、加えて名も知らぬ作家が一人や二人ではない。それで「編集者でござい」とは、風上にも置けない話であった。

読み終えての感想というか、心境と呼ぶべきか、「推理小説の面白さ素晴らしさを再認識した」に尽きる(「推理小説」の部分は探偵小説、ミステリ、そのほか何とでも)。さらにさらに、推理作家は偉大だ、もっと評価されなきゃ噓だ、と声を大にしたい。

不明の謗りを恐れずに言う。世の中には、ヤマもオチもなく一定の評価を得ている小説がある。それを横目に、伏線だトリックだヤマもオチもと趣向満載の小説を書こうとする推理作家。彼ら彼女らの修行僧めいた不断の努力には感涙を禁じ得ない。


さて、『百年小説』ラインナップに江戸川乱歩がいる。収録作が「押絵と旅する男」なのは衆目の一致するところであろう。しかも「押絵」は文章も構想も断トツ、周囲を霞ませずにはいない。

では、52人目として横溝正史が梶井基次郎と上林暁の間に入るならば、何を選ぶか。それが今回のテーマ、「かいやぐら物語」である。

いささか心身に変調をきたした「わたし」は南の海辺へ転地に赴き、清らかな月の夜、嫋々たる笛の音に導かれて浜をさまよう。笛ではない、二枚の貝殻を合わせて吹くのだと教えてくれた女が奏でる楽は、砂丘を越え、海を渡り、はるか月の世界まで届いたとさえ思われた。やがて女は、遠くに見える洋館で暮らしていた医学生が恋人と一緒に死のうとした悲しい顚末を物語る。話し終えてふと問いを投げかけた女に、一拍置いて「わたし」が答えようとしたとき……

横溝正史『鬼火』(岩谷書店、1951年)

内容とのミスマッチにたじろいでしまうが、岩谷選書の一冊として刊行された『鬼火』(岩谷書店、1951年)の書影を掲げる。収録作「鬼火」「かひやぐら物語」「蔵の中」「面影草紙」「蠟人」「孔雀屛風」「貝殻館綺談」「山名耕作の不思議な生活」を選んだのは高木彬光であることが、巻末「選者の言葉」でわかる。実は、高木の評を紹介するために本稿を書いたといっても過言ではない。以下、敢えて原文通りの文字づかいで引用する。

・・・

「かひやぐら物語」は、珠玉にもたとふべき一篇の美しい散文詩。私はこれを先生の短篇の最高峰に推したく思ふ。こゝには「鬼火」の恐しさはない。死と犯罪を扱ひつゝ、後に殘るはたゝ美しき夢と幻のあやかし。ほのかに餘韻をひいてゐる。

これは世阿彌によつて創始され、谷崎先生の傑作「芦刈」、亂歩先生の名品「押繪と旅する男」に傳はる、幽玄華麗な、能樂の現代詩とでもいへるであらう。

・・・

この上、贅言は要すまい。鷗外の『諸国物語』を、「他に比類のない無精神の大事業である。地上の真人間には思いもつかない仕事を、悪魔がさっと成就したけしきである」と評した石川淳に匹敵しよう。乱歩の「押絵」と対比されている点にも注目したい。

神戸元町の古書店うみねこ堂書林の店主からも、「横溝は戦前の短編・中編が非常に良いです。これらを評価しないのは完全に片手落ちです。中でも「かひやぐら物語」は最高傑作だと思います。これまでに日本人作家が書いた短編では、これが一番です」と伺ったことがある。(店主には書影でもご協力いただいた。ありがとうございます。)

横溝正史は『本陣殺人事件』や『獄門島』など本格ミステリの傑作を物したにとどまらない。至高のエンターテイナーにして、あえかな情緒をうたいあげる詩人でもあった。本作はその一つの証明にほかならない。




執筆者プロフィール:
伊藤詩穂子
編集者、校正者
京都府生まれ。豊中で阪神淡路大震災、東京で東日本大震災に遭遇。現在、癌サバイバーを目指して働き方改革実践中。

あわせて読みたい

ページトップ