5月末にアメリカに入国後、2週間の自主隔離を経てロサンゼルスでの生活が始まった。夫が先に来ていたので、基本的な生活環境は整っている。最初にしたことは、娘の小学校への転入手続きだ。夫の勤務先からあまり遠くなく、できる限り車の運転をしなくても済むよう徒歩圏にスーパーマーケットがあり、治安と学校の評判の良いエリア……ということで決めた住居近くの小学校には、知り合いもおらず、情報はない。
頼りにしたのは、友人から聞いた「Great School」(http://www.greatschools.org/
)という学校評価サイト。このサイトでは、児童の成績、人種構成から低所得家庭の児童の学業の進捗状況まで各種データがグラフで示され、10段階レベルで学校が評価されている。公立小学校までも、こんなふうに数字で可視化しランク付けするという、あからさまな評価に戸惑いを感じつつも、可能な範囲で評価の高い学校をチェックすると、不動産価格や治安との相関性も見えてきて興味深い。
学校の手続きは、在米の先輩である友人たちに相談しつつ、つたない英語でなんとか済ませた。最初は学校に電話してもメールしても反応がなく困り果てたが、「夏休みで学校のオフィスが閉まってしまう前に、直接行ってみたほうがいい」と友人からアドバイスを受け、急いで駆けつけて正解だった。
コロナ禍で対面は極力避けなければならないとはいえ、やはり直接交渉が有効で、何が手続きに必要なのかがようやく明確になる。予防接種記録は日本で英文のものを用意してきたが、アメリカのほうが圧倒的に必要な種類も回数も多く、追加接種が必要ということで、日本人医師のいる小児科にお世話になった。
話に聞いていた通り、我が家からは少し遠いが日系企業、日本人居住者が多いというトーランス地区には英語が不自由でも困らない施設、商店が揃っている。中国にいた頃もそうだったが、早く言葉に慣れるためできるだけ日本語に囲まれるのは避けたいと考えてはいても、医療など大事なことはやはり日本語が通じるほうがありがたい。その点、ロサンゼルスはかなり恵まれているようだ。
気が付けばアメリカ国内でもワーストの感染者増加が続いたカリフォルニア州。7月、ほぼすべての学校の再開は対面授業ではなくオンラインで進めることが発表された。オンラインであれば、少なくとも子供たちの感染リスクは低減する。
我が家の場合、英語のわからない娘にとって、自宅で授業を受けられるのは教室で心細い思いをしたり、ストレスを感じたりしないですむことは喜ぶべきだろう。「学校に通えないのにアメリカにいる意味があるのか」という思いも一瞬、頭をかすめたが、オンライン授業であれば横にいてサポートすることも可能だ。
かくして、8月下旬から、娘の小学校の新学期がオンラインで始まった。学習管理サイトはSchoologyとGoogle Classroom。そのほかにもさまざまな教育アプリやサイトが活用されている。その詳細についてはまた別途触れてみたいとは思うが、まず何より驚かされた、かなりの時間が割かれている「国語」のリーディング授業について紹介したい。
『Thank You, Ma'am』(Langston Hughes)、『Crash』(Jerry Spinelli)、『A Long Walk to Water』(Linda Sue Park)、『Hatchet』(Gary Paulsen)、『Riding Freedom』(Pam Munoz Ryan)、『Hope was here』(Joan Bauer)――これらは4th grade(4年生)のリーディングで使われているテキストのタイトル。教科書はなく、作品の一部をプリントしたものが事前に配布されている。
日本語ではそれなりに難しい漢字も読めて、愛読書は1年前から『蜜蜂と遠雷』という読書好きの9歳だが、もちろん英語はほとんど読めない。予習のため、辞書を引きつつ一緒に読んでみたが、わたし自身も苦戦する。日本語訳がないものか……とネット上で検索してみると、なんとすべて邦訳既刊。
『ありがと、おぱさん(『Sudden fiction 超短編小説70』)』(村上春樹・小川高義/訳)、『ヒーローなんてぶっとばせ』(菊島伊久栄/訳)、『魔法の泉への道』(金利光/訳)、『ひとりぼっちの不時着』(西村醇子/訳)、『ライディング・フリーダム――嵐の中をかけぬけて』(こだまともこ/訳)、『希望(ホープ)のいる町』(金原瑞人/選、中田香/訳)――アメリカではいずれも児童文学賞受賞作品などとして広く知られるロングセラーばかりなので、邦訳されてしかるべきだが、現在、2冊を除いてほとんどが絶版。
原著は発表から数十年を経ているものもあるが、黒人文学、環境問題、スーダン内戦、貧困問題、両親の離婚、大自然の中でのサバイバル、男装の少女の自己実現、高校生の政治参加……と児童文学とはいうものの普遍的なキーワード、社会問題が盛り込まれ、現在に至っても読むべき価値がある名著揃いである。
思えば、拙訳の中国文学作品もほとんどが中国で数十万部から数百万部を誇るロングセラーで、原著はいまでも中国の書店で入手できるが、日本では絶版のものもある。中国文学に比べたらずっと読者の多い英米文学ではそんなことはないと思っていたが、この残念な現実を前にやりきれない気持ちになった。古典ともなれば新訳が出るのもあるが、近現代文学において復刊は稀だ。現在、アメリカでは小学生が読んでいる名著の少なからぬ邦訳が絶版のままになってしまっているのは、あまりにも口惜しい。せめて電子書籍で、できれば復刊してほしい。
日本では学校教育における英語教育の必要性が声高に叫ばれているが、英語を重視するのであれば、同時にその言語と社会への理解を助ける文学作品の邦訳書籍の充実も必要とされるのではないか。中国でもアメリカでも、国語であろうと外国語であろうと、膨大な数の文学作品を読むこと、それについて自分の考えを持つことが求められるのは共通している。それは小学校から始まっているのだ。
2022年度から実施される高校の新学習指導要領で「文学国語」と「論理国語」に分けられるとされる日本では、「文学なき国語教育」への移行を懸念する声を多く耳にする。本当の意味でグローバル化への対応を目指すなら、外国語でも国語でも、文学作品を読むことを学校教育においてないがしろにすべきではないとあらためて思う。
執筆者プロフィール:
泉京鹿(いずみ・きょうか)
中国文学翻訳家。1971年東京生まれ。フェリス女学院大学文学部日本文学科卒。北京大学留学。訳書に、余華『兄弟』、郭敬明『悲しみは逆流して河になる』、王躍文『紫禁城の月:大清相国清の宰相陳廷敬』、閻連科『炸裂志』、九把刀『あの頃、君を追いかけた』、林奕含『房思琪の初恋の楽園』など多数。