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『正しさを疑え!』第21回
ウクライナは明日の日本なのか

真山 仁

ウクライナに対するロシアの侵攻問題は、なし崩し的にロシア軍が国境を越えて、ウクライナ軍と戦火を交えることとなった。
ロシアは、過去にも2008年の北京五輪の時にグルジア(現在のジョージア)に侵攻しているし(南オセチア戦争)、14年にはロシアのソチで開催された冬季五輪閉幕直後にウクライナのクリミアに軍事行動を行い、数日でクリミア自治共和国を実効支配し、その後、ロシアが併合したと主張している。

それから8年、またもやロシアは五輪のタイミングで、ウクライナに侵攻したわけだ。
ところが今回は、過去二回と明らかに異なるヒートアップが世界中で巻き起こっている。
海外はともかく、日本での“騒ぎ”が私には不可思議でしかたがない。
国際政治の専門家やグローバルで経済活動をしている人にとって、国際紛争の動向は重大な関心事だ。ウクライナだけではなく、常に緊張状態にあるシリアやアフリカの国内紛争などにも、目を光らせている。

ところが、今回の騒ぎを扇動しているのは、一般人たちだ。
メディアが煽っているようにも見えるが、実際はSNSが凄まじいエネルギーで、日本にいる“普通の人たち”に「ウクライナ情勢は、自分事なのだ」と伝えているのだ。
今まで、遠い場所での紛争に興味を持っていなかった人たちが、「プーチン許せない! ウクライナ可哀想‼」とSNSで確信を持って発言し、世界中の映像や有名人のコメントを次々にシェアして拡散する人が、跡を絶たない。 


確かに、今回もロシアは無茶なことをしているし、プーチン大統領の行動や発想は目に余る。だが先述したように、それは今に始まったことではないのだ。彼が現在の地位を築くために行ってきた、国内での権力闘争の過程では、もっと残酷な行為を続けてきたとも言われている。
さらに、過去のグルジアやクリミアの侵攻よりも、今回が何倍も酷いというわけでもない。原発を攻撃したことを「あり得ない!」と非難している人がいるが、アメリカがどこかに侵攻する場合も、そこに原発があれば、一番に制圧するはずだ。なぜなら、戦争は勝つためにやるのであり、原発は相手国のアキレス腱だからだ。
実際、国際政治やロシアの専門家は冷静に事態を分析し、「いかにもプーチンがやりそうな強攻策だが、彼の主張がすべて暴論とはいえない」という見解を出している。

客観的に見れば、ウクライナの出来事が、日本人にとってこれまでになく関係が深く「まさに、自分たちの問題!」だと考える根拠は皆無だ。
にもかかわらず、世界屈指の軍事大国であるロシアが、問答無用でウクライナに侵攻するのは極悪非道なことだから、ロシアを非難し、ウクライナにエールを送るべきだ!
そう考えている日本人が、圧倒的に多い。今やウクライナを擁護する発言をしないと「非国民!」呼ばわりされそうだ。
一体、どうしてしまったのだろうか。

どんな戦争も、対立する双方に言い分と問題があり、話し合いで解決しないから「武力行使」という名の外交手段に訴えるのだ。
武力行使がベストではないにしろ、戦争を行う以上は、どちらも勝たなければならない。そこには戦略があり、最終的な落とし所も想定されながらせめぎ合いが続けられるものだ。

なのに、ウクライナ情勢は極端なほど、感情論で語られている。


これは、まさに最近問題とされている「ポスト真実(トゥルース)」の典型例ではないのか。
この言葉は、オックスフォード英語辞典を出版するオックスフォード大学出版局が、2016年に、「世論を形成する際に、客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的信条へのアピールの方がより影響力があるような状況」と定義したことに端を発するといわれている。

世論は常に、事実と感情が衝突しながら、徐々にほどよきポジションで、多数意見として固まっていく。
ところが、時にショッキングな出来事が起きて恐怖が社会に蔓延すると、事実が感情のうねりに飲み込まれてしまい、世論が暴走する。そういう例はこれまでにもあったが、「異常事態だ」と考えられてきた。

それが、今や日常化しているというのが「ポスト真実」の考えであり、私も、実感していて危惧している。
この現象に一役買っているのが、SNSだ。
自宅や電車の中でなにげなく観るスマホで、悲惨な戦争の映像やウクライナ国民の叫びを聞いたら、ショックだろう。今まで、遠い国のことだと思っていた戦争が、まるで自分のそばで起きているような錯覚に陥る人もいるかも知れない。
戦争を起こさないために、一人一人がそういう感覚を持つことは重要だと思う。

だが、断片的な情報しか得ないまま、戦争という複雑怪奇な出来事に善悪をつけたり、感情的な発言をするのは、成熟した大人の行動とは思えない。
何より残念なのが、マスメディアまでが、SNSのリアクションに押されるかのように、事実関係の説明以上に、ウクライナの「惨状」を伝えて「国民の期待」に応えてしまっていることだ。 

尤も、今回の「紛争」には特殊な背景もある。今年11月に行われる中間選挙で大苦戦が予想されているアメリカのバイデン大統領、大統領選挙を控えたフランスのマクロン大統領など政治的な国内事情を抱える欧米首脳が、SNSで盛り上がるような情報を積極的に発信し、感情を煽っている点だ。メディアやSNSを誘導しロシアを徹底的に追い詰めている戦略が奏功している。

その上、プーチン大統領自身が侵攻後の展望を甘く見て、世界を敵に回すような態度を取ってしまった「誤算」も大きい。
さらには、ウクライナ大統領が、自国での人気低迷を一気に挽回すべく世界中に支援をアピールする姿が、好感を持たれたため、紛争は泥沼の様相となった。しかも、SNSは、ロシア国内にも広がっているため、ロシア国民にもこのムードが大きな影響を及ぼした。
そういう様々な権力者の思惑と誤算が事態を複雑にする一方で、感情的な爆発を引き起こしている。
言ってみれば、国家権力者が、SNSを上手に利用した紛争と化している。
こうした背景があって、今までとは異なる「自分ごととしての戦争の悲劇」が世界中の人々の感情を揺さぶっているのだ。


外国の武力行使に関心を持つことは、悪いことではない。また、どんな大義名分があっても、民間人を犠牲にするような武力行使を許してはならない。ただ、地球上では頻繁に武力衝突が起き、現在も多くの人が悲惨な生活を送っている。ウクライナだけが特別ではないし、ウクライナが過去最悪でもない。
今回の紛争をきっかけに、「こんな酷い戦争みたことない。でも、いつか日本もこんなことになるのかも」というような発想を持つ人が増殖している現状は、“平和ボケ”以上に深刻に思える。

広い視野を持とうとせず、感情的な判断だ善悪を簡単に決めてしまい、自分が知ったことだけが一大事で、自分が知らない事実など知ったことではない。
そんな勝手な平和主義が広がっていくのが、怖くてならないと考えているのは、私だけだろうか。



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