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『正しさを疑え!』第22回
為政者の使命とは

真山 仁

既に日本のメディアとSNSの話題を一ヶ月以上独占している世界の「ウクライナ熱」は冷める気配を見せない。
そして、ロシアによる軍事侵攻が起きるまで、日本人の大半が名前すら知らなかった「ゼレンスキー大統領」は、超有名人として、時にはまるで「旧知の間柄」のように語られている。

この気味の悪さについてはさておき、ここで敢えて為政者の使命とは何かを考えたい。為政者という言葉は曖昧に響くかも知れない。もう少し分かりやすく言えば、大統領や首相をリーダーとしてその国の政府の舵取りを務めている人たちだ。日本で言えば、内閣、国会議員、官僚などが含まれる。
そして、今や“世界の英雄"であるゼレンスキー大統領は、極悪非道のプーチンに率いられるロシアによって多くの死者と破壊に見舞われたウクライナの惨状を世界に訴え、「命がけで闘う為政者」だと目されているようだ。

大国によって自国が蹂躙されている様を世界に訴え、支援を求めるというのは、重要な役割だ。

だが、本来の為政者の最大の使命とは、国民の命と国益を守ることにある。
だとすれば、ゼレンスキー大統領は本来、強国に攻撃をされた段階で、為政者としては失格なのだ。

ロシアによる軍事行為によって、ウクライナでは多くの国民の命が奪われ、国益は甚大に毀損されている。
どんな理由があれ、為政者は自国が戦争をしない、あるいは戦争に巻き込まれないように死力を尽くさなければならない。戦争が起きれば、為政者の使命として守るべき、二つの大切なものが失われるからだ。

(今回のロシア軍による侵攻を含め)戦争とは、突然降って湧いて起きるわけではない。それなりの時間を掛けて原因が生まれ、当事国同士で様々な交渉があった末、「このままでは、戦争が避けられない」事態が把握できる場合がほとんどだ。実際、今回のロシア侵攻は、欧米政府やメディアは、かなり早い時点から警告していた。
それを止められず、ロシア軍が国境を越えてきたのは、ウクライナ政府にも問題があると考えなければならない。

いや、ウクライナは一方的に酷い攻撃を受けたのであって、止められる余地はなかったという反論もあろう。だが、強国が「武力行使も辞さない」という意思表明をした段階で、小国は国民の命を守るため、戦争ではなく、譲歩するのが為政者のすべきことなのだ。
譲歩内容がどれほど屈辱的であろうとも、「負けるのが分かっていても戦争を覚悟」などしてはならない。小説や映画のように捨て身で強者に挑む態度は、為政者としては無責任極まりない。

そもそも強国の横暴をいち早く察知し、最悪の事態を避けようとする努力を怠ったから、このような結果を生んだ可能性が高い。
弱者の処世術として、強者と事を構えないのは、生きるための必須条項だ。
目の前に腹をすかせたライオンが現れた段階で、インパラの群れは闘うのではなく、逃げる。そして、次からはライオンがいた場所には近づかないし、いくらかの犠牲を出したとしても、群れを守ろうとする――。
これが、自然界の掟であり、弱肉強食の常識だ。

第二次世界大戦以降、世界の強国同士の戦争がなくなり、平和になったかに見える。
だが、この一見平和な地球上では、日々、強者が弱者を飲み込む蛮行は続いている。だから、弱者は強者との接触を避けて生きのびる――。もし、強者に襲われた時は、被害を最小限にすることこそが、群を率いるリーダーの責任なのだ。

世界中の人たちは無責任に、ロシアに負けるなとか、ウクライナを救えと声高に言うが、実際に欧米は、まったく軍事介入をしていない。ロシア軍侵攻前は「派兵も辞さない」という意思表示をしていたにも関わらず、だ。軍事力でロシアを撥ねのける道筋は、ほぼあり得ないのだ。
にもかかわらずゼレンスキー大統領は、今日もどこかの国会や影響力のある人たちの前で、ロシアの残虐さと自国民が無残に死んでいることを嘆き、平和に暮らしている人たちに様々な支援を訴えている。

しかし、本当に彼が国民を思うなら、屈辱的でも戦争を終わらせることこそが、大統領の使命だと気付くべきだ。
ロシアを非難するのは、それからでも充分にやれる。このまま、彼が意地を張れば張るだけ、確実に国民が死んでいくだろう。この責任は、ロシアだけではなく、ゼレンスキーにもある。
それぐらいの冷静な視点を持たなければならないのではないだろうか。 



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