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対談

スペシャル・トーク第1回
『渋谷敦志×真山仁 「伝える」とは何か』
2019年6月1日@富士フイルムフォトサロン

真山 仁

2019年6月1日(土)、フォトジャーナリスト・渋谷敦志の20年にわたるアフリカ取材を振り返る写真展『渇望するアフリカ』(主催・富士フイルムフォトサロン)にて、ギャラリートークゲストとして真山仁が登壇しました。2人の出会いから、それぞれが現在に至る軌跡を語り合いながら、立場の異なる視点から「伝えるとは何か?」に迫ります。その模様を、全3回にわたり真山メディアで抄録します。

第1回 『道に報いる報道って?』

渋谷 初めてお会いしたのは2003年頃、僕が30歳くらいでした。
当時はイギリスに留学していたのですが、一時帰国をして、大阪でアジアの子どもの写真展をしていた時に、真山さんに来ていただきました。

真山 私がちょうど小説家デビューした頃ですね。大学の後輩が『国境なき子どもたち』の事務局に勤めていて、ぜひ会って欲しい人がいると紹介されたのが、渋谷さんでした。

渋谷 真山さんは、デビュー前は新聞記者をされているので、僕にとっては、ジャーナリストの先輩としての感覚も強いです。
北京・上海の取材にも、ご一緒しましたよね? 中国の最新の経済事情を取材した時に、撮影担当として同行させてもらいました。

真山 2005年かな。『ハゲタカ』が出た直後くらいです。
あの取材は、ディープでしたね。私と渋谷さんと、事務所のスタッフが1人。貧乏旅行で、部屋も1部屋しか取れなくて……。
当時は、北京オリンピック開催が迫っていて、街全体がお色直しを始めていました。それまでは観光で入国しても、取材者だと思われたら、必ず公安警察の尾行が付くのが当たり前でしたが、その頃から、大分歓迎ムードになっていたように思います。

渋谷 正式な許可も必要なく、工事現場とか、工場とか、スラムのようなところにも入ったのですが、今なら、手続きが大変かもしれませんね。
その時に、真山さんに言われて、すごく印象に残っている話があります。
それは、「報道とは何ぞや」というものです。
報道とは「道に報いる」と書く。だとすれば、ジャーナリストというのは、事実を取材して伝えるだけではなく、人としてこれからの社会の有り様をしっかりと考えられる人のことを言うのではないか――。お酒を片手に熱く語ったのが忘れられません。

真山 そんな偉そうなことを言ったんですか! 自分はできているのかと突っ込まれそうな話だな(笑)。

渋谷 その言葉が今でも脳裏に焼き付いていて、この本(自著『まなざしが出会う場所で』)のあとがきにも、真山さんのお名前と一緒に引用させてもらっています。そういう人と人が出会う場所、僕で言うと、撮られる人と、見てくれる人、写真家、この3つのまなざしが交差する場所をライブとして作りたいと思ったのが、今日のような場です。

真山 「道に報いる」というと人道的に正しいのか、という視点になりがちです。
ただ、実際は少しニュアンスが異なります。
取材者は、戦争や災害などにも躊躇わず足を運ぶ必要があります。
その現場では、時として目を逸らしたくなるような悲惨な現場もあります。
あるいは、そんな場所で取材をするのは非常識、インモラルだと非難されるようなこともある。「道に報いる」というのは、そういう取材は慎みましょうという意味ではありません。

例えば、今、こうして話している間にも、アフリカで子どもが亡くなっています。でも、その現実を知るためには、誰かがそこへ行って、消えかけた命を撮って(取材して)報道しなければ、私たちへ届かないんです。
これが、本当の意味で「道に報いる」ということだと思います。
最近多いと感じるのが、「人として許せない!」とか、「こんなに人を傷つけてまで、報道しないといけないのか」という反応です。
しかし、悲惨な現場が存在し、悲劇があったことを読者が知るには、そうした現場から、時に冷徹に事実を伝えているからです。

もし、そこで慈悲深さを前提に取材をしたり、遠慮して、現場の様子を控え目に伝えてしまうと、世界で起きていることが、正確に伝わらなくなってしまいます。
ジャーナリストを目指す人は、自分が考えるよりも、もっと残酷で大変な思いをしないと伝わらないことや、心を鬼にしてでも、伝えなければならない時があるということ。そして、それこそが読者に問題意識を持ってもらえる方法だと知って欲しいです。

渋谷さんが、日本では見ることのない生活を送る人たちを撮る理由は、そこにあるのではないかと思います。

小学校の朝礼にて 2013年 南アフリカ ©Atsushi Shibuya

渋谷 真山さんは、アフリカのニジェールに行かれていますよね。
それは、いつごろですか? 旅行では気軽に行けないところですが……。

真山 2015年の秋です。きっかけは、ジョン・ル・カレというイギリスの作家です。映画にもなった『裏切りのサーカス』や『ナイロビの蜂』という作品が有名です。
冷戦が終結した当時、スパイ小説を書く作家たちは、物語の舞台となる先進国に敵がいなくなってしまったと、新たな敵を探し始めました。
そんな中、ジョン・ル・カレは、アフリカを舞台に、多国籍企業が、アフリカの人々を道具のように利用して暴利を貪ろうとする小説を書きました。それが『ナイロビの蜂』という作品です。
私は、その作品に非常に感銘を受け、自分も小説家を名乗るなら、この目でアフリカを見なければと思ったんです。それが『コラプティオ』という作品を書くきっかけになり、その時に、ニジェールへ取材に行きました。

『コラプティオ』は、外国に原子力発電プラントを輸出することで、国際競争力を失いつつあった日本の国力を取り戻すため奮闘する総理大臣と、彼を取り巻く若い政治学者とジャーナリストの物語です。
東日本大震災の事故の影響があり、今の日本では原発の輸出は難しくなっていますが、小説の連載開始時は2010年で、当時は原料のウランもセットにして原発プラントを売ろうという動きが、原発メーカーや先進国にありました。
アフリカには、ウラン鉱山が2つあるのですが、その1つがニジェールにあります。実際に今日本にある原発が全基稼働するとなると、1週間に1度は必ずニジェールのウランを使っていました。
実際には、当時アルカイダが、鉱山にやってくる技術者を拉致するなどの事件が起こり危険なため、鉱山の見学は叶いませんでした。それでも、その鉱山がある国をこの目で見たかった。
ニジェールは、最貧国の中でもずっと最下位争いをしているような国でした。だとすれば、「ますますその国に行かなければ!」と思い、1年以上かけて出版社と交渉し、取材が実現しました。

渋谷 ニジェールの貧困は、今も変わらないです。
映画『ナイロビの蜂』は、エンターテインメントとして描かれていますが、僕も現場を知る人間として衝撃を受けました。世界のグローバリゼーションの歪んだ構図やしわ寄せが、アフリカへ波及している現象がとてもリアルに描かれています。
伝える側の人間として、フィクションとノンフィクションで戦う必要はないと思っていますが、フィクションとしてでしか表現できないこともあるのだと感じました。

真山 小説を書く時は、アウトラインをしっかりと押さえておきたいので、納得するまで取材します。そのせいか、なぜノンフィクションとして書かないのか、ということをよく言われます。
ノンフィクションは、確たる裏付けがない限りは、真実に違いないと分かっていても、言及できないことがあります。
それが小説ならば、固有名詞は架空だけれど、構図や出来事の本質は、真実を貫いているように書くことができます。だから、私は、小説にしか書けない真実に迫りたいと思っています。

渋谷 真山さんの小説を読んでいると、現実と架空の世界が交差するような感覚になる時があります。

真山 「これは、本当かもしれない」という小説があっていいし、世界にはそういった小説がたくさんあります。『コラプティオ』は、そういった意味で日本の読者にアフリカを体感して欲しいという思いがありました。
ただ、結果的に残念だったのは、この小説の連載最終回が掲載された頃、東日本大震災が起きました。その年の夏に単行本を発売したために、“原発小説”と認識されてしまって、重要な要素として書き込んだアフリカについては、あまり話題になりませんでした。



≪次回へつづく≫
※スペシャル・トーク第2回の更新は、9月10日(火)です。

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