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対談

スペシャル・トーク第2回
『渋谷敦志×真山仁 「伝える」とは何か』
2019年6月1日@富士フイルムフォトサロン

真山 仁

2019年6月1日(土)、フォトジャーナリスト・渋谷敦志の20年にわたるアフリカ取材を振り返る写真展『渇望するアフリカ』(主催・富士フイルムフォトサロン)にて、ギャラリートークゲストとして真山仁が登壇しました。2人の出会いから、それぞれが現在に至る軌跡を語り合いながら、立場の異なる視点から「伝えるとは何か?」に迫ります。その模様を、全3回にわたり真山メディアで抄録します。

標高3000メートルの高地に住む子ども 1999年 エチオピア ©Atsushi Shibuya

第2回 『生きたいという渇望感を伝える』

真山 渋谷さんが、初めてアフリカに立った地は、エチオピアでしたっけ?

渋谷 はい、約20年前です。
1999年に大学を卒業して幸運にもすぐに賞をいただいて、その3か月後に、「国境なき医師団」という団体に志願して、アフリカのエチオピアに行かせてもらいました。
もともと戦場カメラマンに憧れがあって、そういう世界に飛び込みたかったんです。
当時は、ユーゴスラビアで戦争が起きていて、世界中のカメラマンがそこに集結していました。
僕はもう少し違う世界を見たいと思って、中米やアフリカに興味を持ちました。
90年代は、ルワンダの虐殺があり、南アフリカが新生南アフリカとして誕生した時で、これからはアフリカだろうという気持ちがあったんです。

真山 さすが戦場カメラマンを目指している人はすごいなと思うところですが、じつは、最初に現地に入った時は、下痢でご飯も食べられずフラフラで、持って行ったフイルムを全然使い切れなくて帰ってきたんですよね。

渋谷 そうなんです。富士フイルムさんが白黒フイルムを200本提供してくれたのですが、撮れたのは36枚撮りでたった6本。

真山 新聞社ならクビにされちゃいますね(笑)。

渋谷 はい(笑)、当時お世話になっていた写真家の田沼武能先生に怒られました。
「何でもっと撮らないんだ。縦に、横に、引いて、寄って、撮らないとダメじゃないか」と。

みんなに付いていくだけで必死でした。歩いて、三千メートル級の山を登って撮影する。登山経験がなかったために、頂上に到着すると酸欠で意識がぼーっとしてしまって……。さらに、出発前から食事で下痢をしてしまって、何か食べると全部下してしまう。かつ、ずっと雨が降っていて寒くて、なのに防寒の用意もできていなかった。準備不足過ぎでした。

真山 それは、アフリカが「暑い」というイメージがあったからですよね。

渋谷 そんなところに行くとは聞いていなかったけれど、自分で志願して行ったわけですから。
今回の全ての写真に通底するテーマでもあるのですが、肉体的に追い込まれることによって、ある時ふと自分の疲労が目の前の現実世界に起きている疲弊と一体化するような感覚が起きることがあります。

スピリチュアルな言い方ですが、その時に、わーっと何かが自分の中に入ってくるような、内側からアフリカ世界に宿る陰影が迫ってくるような感覚がして。

真山 渋谷さんは、言葉のチョイスも素晴らしいといつも思うんですが、聞いているだけでイメージが湧いてきます。

渋谷 その時に、会った人たちの眼が一気にこちらに迫ってきて、「生きたい、生きたいんだ」という肉声が聞こえてくる感じがしたんです。思わずシャッターを撮っていたら、今まで撮ろうと思っても撮れなかった何かが映り込むような瞬間がありました。
「ああ、写真ってこうやって撮るのか」と。
写真家としての原体験のようなものは、この時かもしれません。

真山 戦場や貧困の現場に触れるカメラマンは、「目の前で子どもが亡くなっても撮る」、というイメージがありますけど、当初の苦労の日々が、ここで変わったんですね。

渋谷 そうですね。エチオピアでは、初日から目の前で人が亡くなりました。
今まで家族の死ぬ瞬間でさえ見たことがなかったのに、目の前で絶命する姿を初めて目にして、パニックになってしまいました。
写真を撮ってどうするのか、意味があるのかという葛藤が最初からありました。

真山 “ファインダーを覗く”ということが、一つ重要な要素かもしれませんね。
自分の眼で目の前の大変な人を見ると、そのまま生身の人として見えてしまうものが、ガラス1枚隔てるだけで全然違うのかな。

渋谷 内戦中のアンゴラを訪れた時の話です。街で毎日のように地雷の炸裂音が聞こえるのですが、ある時かなり近くで地雷が爆発して、現場に駆けつけたら、女性が足を吹き飛ばされていました。すぐに病院へ運んだのですが、それをどうしても撮りたくなって、28ミリのレンズで近づいて患部を撮ったんです。

真山 28ミリというと相当近づかないといけませんよね?

渋谷 膝から下が割れて、骨が出ていて、肉が砕け散っているんです。
シャッターを押す時に、レンズを覗いたら、レンズが人の体温で曇るんです。そして、臭いを感じた瞬間、一気に現実に戻ってしまいました。
それまでは、思考停止のような状態になっていたのですが、嗅いだ瞬間に気持ち悪くなってしまって……。
ファインダーで見るということは、どこか思考を鈍らせて割り切ってしまうところがあるんですが、そんな時は注意をしないといけないなと思っています。

真山 渋谷さんは、子どもを撮るのがすごく上手ですよね。
カメラを意識した子どもの写真がほとんどありません。こんな自然な表情を撮れる人は、稀です。
どこから来たのかもわからないアジア人が、目の前でカメラを構えだしたら、普通は逃げるか怒るでしょう。もしくは、緊張する。
でも、そういったものが全然写真に出ないんですよね。

一緒に中国へ行った時に、どうやって写真を撮るのだろうかとこっそり観察していたら、まるで忍者のようでした。気配を消すんです。
この“気配を消す”というのは、インタビューをする時にも大切な要素です。
相手に取材を意識させずに、まるで独り言を話しているかのような場を作ることが大事なんですが、渋谷さんが写真を撮る時にも、それを感じました。これは、技術的な問題だけじゃなくて、そこにある空気と同化して撮っているんだなと。

エイズで親を亡くした孤児の姉弟 2010年 ウガンダ ©Atsushi Shibuya

渋谷 子どもは、どの国に行っても、入口というか、最初に迎えてくれる人たちです。
難民キャンプに行っても、ブラジルに行っても、まず子供が「おいでよ」と最初に言ってくれる。「じゃあ、お邪魔します」と入って、子どもと一緒にそのまま家庭や地域社会へ入っていきます。「すいません」みたいな感じで(笑)。


真山 だからこういう写真になるのかな。
私がニジェールに行った時、渋谷さんの写真に出てくるような、キラキラとした瞳で、都会とは違う欲望のない清らかな人たちに会えると思っていました。
でも実際は、彼らには、ほとんど表情がなかった。
ところが、子どもだけで遊んでいると、笑っている。
なぜ、見知らぬ人の前では、表情がないのか。
原因は、絶望的な貧困でした。
学生時代の卒業旅行で、エジプトのカイロに数日滞在しました。その時は、子どもも大人も執拗に物を売りつけてくる。
でも、ニジェールでは、何かを買ってと寄ってきても、追い払われるとあっさり諦める。
「きっとあの人は、今日誰かに分け与えるものを持っていないからだ」とJICAの職員から聞いて驚きました。
つまり、今日一日みんなが生き延びることができるものを誰かが持っていれさえすればそれでいいのであって、それ以上は求めない。
でも、そこに経済が入ると途端にその風景が変わるんです。アフリカは、内戦の問題がよく取り沙汰されますが、そのきっかけは、欧米諸国が経済を持ち込むからです。そういう感覚はどうですか?

渋谷 ニジェールは同じアフリカでも、置かれた自然環境が全く違います。
ケニアやウガンダは、世界の中でも過ごしやすい気候で、とくにウガンダは、豊かで人にやさしい自然環境があります。
一方、ニジェールやソマリア、エチオピアの砂漠地帯は、なぜこんなところに人が住めるのかというほど厳しい環境です。でも、そういうところにも百年、千年単位で変わらない生活をしている人がいるんです。
また、ひとくくりにアフリカと言っても、エチオピアのように、一つの国にいくつもの国や文化がまじりあっているような場所がたくさんあって、そういったあり方が美しく、それに触れた時の世界が広がる感覚や手応えみたいなものを若い時に経験できたのが、僕の写真を続ける執着や動機になっているのかもしれません。

撮るということの手ごたえや、生きたいと望む人のエネルギーを、今回の写真展で「渇望」と表現したのですが、これは苦しみの根源でもあり、生き抜こうとする人の意志でもあると考えています。
「渇望」が、絶望なのか、希望なのか、まだ僕には答えがわからないのですが、どちらの文字にも「望む」という字が入っている、その意味を考えるような展示を意識しました。
タイトルの『渇望するアフリカ』とは、僕自身のそういうものへの渇望という意味でもありますし、人間が生きていく渇望でもあると。



≪次回へつづく≫
※スペシャル・トーク第3回の更新は、9月11日(水)です。

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