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発言

『正しさを疑え!』第12回
2021年は、腹を括る年だ

真山 仁

 松の内が明けるのを待っていたかのように(だとすれば、その感覚は絶望的に問題だが)、新型コロナウイルス対策のため二度目の緊急事態宣言が発令された。

官邸を含め、誰一人「想定外」だと考えていた者はいないほど「遅きに失した」宣言だ。
総理就任以来、国民のための政治を行わず、自らの保身に走ってきた菅総理の責任は重大だが、こうなれば、もはや政治家に頼っている場合ではないと、頭を切り替えるしかない。

そして、2021年は、昨年よりも遙かに一人ひとりが様々な意味で生き残るために腹を括る年だと覚悟しなければならない。

第一に「まあ、大丈夫じゃないか」という甘さを自戒し、希望的観測を捨てることだ。昨年であれば、新型コロナに感染して重篤になるのは、高齢者や生活習慣病の持病がある者が多かった。実際、身近に陽性と判定された知人はいなかった人がほとんどだった。それが、昨年11月辺りから、徐々に知り合いの中に感染者が出たという話を聞くようになり、「無差別的に感染は広がり、加速度的に重篤者が増えている」事態に至っている。
既にコロナウイルスに感染するかどうかではなく、いつ罹患するのかという時間の問題となっている。

であるならば、我々は「コロナ禍でどんな生き方を選択するのか」を自らしっかり決める必要がある。その時、忘れてはならないのは、自分だけの都合では決められない点だ。
誰もが社会生活を営んでいる以上、各人の選択が、家族を含めた他者に迷惑を掛けないものでなければ、ならない。

もっとも、神経質になり過ぎれば別の問題が起きてくるのは、昨春の緊急事態宣言の時に経験して分かっているはずだ。
体だけではなく、心のケアをするための余裕を維持する時間の過ごし方について、じっくりと考えなければならない。
また、生きるために生活費を稼ぐ必要もある。自粛ムードの中で、あまり窮屈に考えずに、どうやって自らのビジネススタイルを探し出すか。これも、今までの経験を踏まえてバージョンアップしたい。

そうした自問自答を行う一方で、自分自身の、組織の、そして、この国の「失敗」をしっかりと記録しておきたい。
政治の面で言えば、明らかに安倍政権の頃よりも酷い対策ばかりが目立つ(知事連中の発言も同様だ)。特に12月下旬から1月初旬にかけての、政府のコロナ対策担当者の無責任な言動と行動を忘れてはならない。

彼らは、約一年続くコロナ禍の中で、何も学習せず、逃げることと責任転嫁する術ばかりを覚えた。コロナ対策担当者の中には、次期総理候補として名前が挙がる者もいるが、危機に逃げしか打てない政治家は、次期総理どころか次の選挙で落とすぐらいの、シビアな目を持ちたいものだ。

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