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コラム

キルゾーン〜城は何のためにあるのか 第7回
城の立地が山から平地に降りてきた理由【前編】

日野 真太郎

築城する上で重要なのは、目的にかなう立地の選定と、その土地に対してどのような防御施設を設置するかという二点です。防御施設の設置は「縄張り」(設計)に従って「普請」(土木工事)を行い、「作事」(建築工事)を経て完成します。

まずは、立地の選定についてお話しします。
立地の選定といっても色々切り口はありますが、城の関連書籍では、概ね「山城」「平山城」「平城」と分類されています(注1)。

一般的には、麓からの比高が200メートルを超えると山城、それより低いと平山城、平野にあると平城とされ、歴史的には、戦国時代は山城が中心で、その後、平山城や平城に移行したとされます。

確かに、一定数の城を巡ると、戦国時代末期以前と以後とでは立地に差があるような印象を受けます。例えば、江戸時代直前に築かれた大坂城(大阪市)と、戦国時代に築かれた小谷城(滋賀県長浜市)を見比べてみるとどちらも非常に大きい城ではあるものの、その立地は明らかに違います。大坂城は、平野のど真ん中にあり、複数の堀を有していていますが、小谷城は、山の上(訪問した実感としては山の中)にあります(注2)。

小谷城の主郭(2020年11月)※写真はすべて著者撮影

具体的に、織田信長とその後継者である豊臣秀吉の本拠地を見てみましょう。
初期の那古野城(名古屋市)や清洲城(愛知県清須市)は別にして、信長が築城し、本拠とした小牧山城(愛知県小牧市)、岐阜城(岐阜市)、安土城(滋賀県近江八幡市)はいずれも平山城です。
一方の秀吉について言えば、柴田勝家との決戦前に築いた山崎城(京都府大山崎町)は山城であり、その後本拠地とした大坂城や、新たに築いた伏見城(京都市)は平山城か平城にあたります。

岐阜城天守からの眺望(2013年2月)

では、戦国時代の多くの城はなぜ山の上に立地しているのでしょうか。鎌倉時代、武士は平時に領地を治める平地の館に住み、有事に館の近辺にある山に一時的に防御施設を設けて籠っていたが、室町時代に入って武力紛争が恒常化したことで、山にも恒久的な防御施設を設けるようになったと言われています。

例えば、室町時代後期の武将・武田信玄の居館は、甲府盆地の中心から少し北に行った躑躅ヶ崎館(甲府市)ですが、有事の際は、そのさらに北にある裏山に所在する要害山城(甲府市)を利用していたとされます。

躑躅ヶ崎館が所在した武田神社(2010年9月)

そうすると、次に気になるのは、なぜ戦国時代が終わりに差し掛かると、城の立地が山の上から平地に降りてきたのかです。これには複数の理由があると思われます。

一つは、淘汰によって強い戦国大名が生き残ったことで、大規模な城を築ける経済力を持つようになったことです。もっとも、それ以前も越前の一乗谷(福井市)に本拠を持った朝倉氏のように、山間の谷に本拠を設け、その周辺の山に複数の城を置き、山全部を要塞化している例もありますので、経済力だけでは説明できません。

そこでもう一つの理由として考えられるのが、築城技術の進歩です。
「城」と聞いてイメージされるものは、多くの場合、姫路城(兵庫県姫路市)や大坂城のような、石垣と櫓、天守があるような城で、このような城は近代城郭といわれます。しかし、例えば石垣一つ取っても、あのように高く積むのは、非常に高い技術が必要です(注3)。

石垣は、自然石や、それを加工した石を組み合わせて造りますが、石と石の間の継ぎ目には、漆喰やモルタルのような接着剤は使われません。自然石を積み木のように組んで、数メートルから大きいものでは20メートルを超える石垣が造られているのです。そして、石垣が造られることで、雨水による城の土台の崩落を防げるようになりました。

こうした技術の進歩により、必ずしも山の上でなくとも、高い防御力を有する防御施設を設置できるようになったと考えられます。

〈後編につづく〉

近代城郭である高知城(2016年9月)

(注1)城好きの感覚からすると、「山城」は登山靴と軍手に熊鈴を付けていくべき城、「平山城」なら普段着と同じ格好で訪問しても大丈夫、「平城」ならスーツに革靴でも行ける城といったところです。

(注2)山といっても、大体の場合は里山くらいの麓から100~300メートル程度の高さの山がほとんどです。これは、防御施設として設ける以上、麓からある程度アクセスが良くないと維持できないからと思われます。多くの場合、麓から歩いて登っても1時間以内で登れることがほとんどです。

(注3)当時の石垣築造の専門家集団であった穴太衆(あのうしゅう。「穴太」は大津市の地名)の技術を現在に伝える粟田建設という企業が滋賀県にあります。同社の読み応えのあるインタビュー記事(https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00542/)をご紹介します。



〈参照文献〉
『日本の城事典』千田嘉博著、ナツメ社、2017年



〈執筆者プロフィール〉
日野真太郎(ひの しんたろう)
弁護士。1985年福岡県生まれ。幼少時を中華人民共和国北京市で過ごし、東京大学法学部、同大学法科大学院、滋賀県大津市での司法修習を経て、2012年より東京で弁護士として執務。企業間紛争解決、中華圏を中心とする国際法務全般及びスタートアップ法務全般を取り扱う。趣味は城巡りを中心とする旅行で、全国47都道府県を訪問済。好きな歴史上の人物は三好長慶と唐の太宗。


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