ありえない現実を前にすると、人は立ち尽くす。
ルーマニアのドキュメンタリー映画「コレクティブ 国家の嘘」(2019年アレクサンダー・ナナウ製作・監督・撮影)は、その呪縛から抜け出し、一体何が起きたのかを探ろうとした。
2015年10月20日。ルーマニアの首都ブカレストのクラブ「コレクティブ」で、ライブ中に火災が発生。27人が死亡し、180人が負傷した。
映画で描かれた「事件」は、火災の後から始まる。
複数の病院に搬送された負傷者が、数ヶ月の間に37人も亡くなるのだ。原因は、院内感染だった。
感染原因は、院内の消毒にあった。病院に消毒剤を納入していた業者の不正、さらに、病院の不適切な使用法によって、やけどによって皮膚が弱っていた入院患者に、細菌が感染したというのだ。
映画は、ナレーションもインタビューも入らない。まるで影のように佇み、関係者の部屋の片隅から、カメラを回し続ける。
カメラを向けられたのは、“事件”を見つけ、取材によって背後に隠された「国家の嘘」を徹底的に追い続けるジャーナリスト、杜撰過ぎる病院行政にメスを入れるべく渦中に飛び込む医療活動家、そして、体に深い傷を負い、今までの生活ができなくなっても前向きに生き続ける被害者と、息子を失って悲嘆に暮れる遺族――という4者だ。
火事で一命を取り留めたのに、なぜ、病院で死ななければならなかったのか――。遺族が声を上げた時に取材を始めたのは、スポーツ紙の編集長だった。やがて、彼の元に病院関係者などから情報が集められ、問題の深刻さが浮き彫りになる。
いわゆる調査報道による取材が続けられる過程は、けっして派手ではない。疑問に抱いたことを丁寧に関係者に当たり、事実を積み上げていく。さらに、専門家の協力を得て記事を書いたことで、情報がどんどん集まってくる。
やがて、この「事件」に国家が大きく関わってきたことも判明する。
新たな事実が明かされる度に、さすがにこんな酷いことはもう無いだろうと思うのだが、それでも、腐敗の連鎖は止まらない。
不正を暴いても、救いはない。
一方、「事件」の責任を追及されて辞任した前任者に代わって保健相に就いた医療活動家の部屋にもカメラが入ることで、正義の脆さ、命の軽さが浮き彫りになっていく。新保健相に期待しつつも、批判の手を緩めない記者たちの追及は容赦はない。
追及する側、対応を急ぐ側の両面から、腐敗解明とあるべき病院行政を探っていくため、観ている者には、重層的な問題が迫ってくる。
間違っていること、不正が起きていることが分かっているのに、大臣ですら簡単に改められない。そのジレンマは、果たして解決できるのか。
そして、火事で助かったのに、病院で命を落とした息子を思う遺族の絶望は、父親の怒りと無念の言葉の中で膨らんでいく。
静謐に進んでいく映像からこぼれ落ちてくるのは、救いようのない不条理だ。
たった一つの救いは、絶望の淵にあっても、前向きに生きようとする一人の被害者の姿だけなのだが、それすらも観ていられないほど悲しみに満ちていように感じてしまう。
いやあ、東欧って野蛮だなあ、などと考えてはいけない。
先進国でも、握りつぶされてしまう可能性の高い“真実”を抉り出し、優れたドキュンメンタリー映画を生み出したのもまた、腐敗した国家ルーマニアなのだから。
逆に、こんな映画が日本で作れるだろうかと考えてしまった。
映画は、ハッピーエンドに終わらない。
しかし、そこで突きつけられた現実を正視することで、何が起きたのかを追及する姿勢の尊さが伝わってくる。
【公式サイト https://transformer.co.jp/m/colectiv/】