渋谷 僕と真山さんは、同じジャーナリズムに関わりながらもカメラマンと小説家で、手法が違う。僕自身は、能登がすごく好きになって、能登に住みたいくらいで、大変なところも伝えないといけないけど、魅力やポテンシャルも見失いたくないなと思っている。
だから、そういうことをちゃんと理解した上で、能登の人達と一緒に何かできることがあるかもしれないという思いで写真を撮っているのですが、真山さんには真山さんの役割があるはず。
真山さんの目には、能登はどう映っていますか?
真山 能登半島地震が起こったのは元日の午後4時過ぎで、お正月イベントも終わってのんびりとテレビを見ている時でした。地震速報が流れて、その後すぐに、津波7メートルという情報が流れたとき、多くの人が同じイメージを抱いたと思うんですが、「7メートルなら、たいしたことなくてよかったね」と思った。
次に火事が起きて、輪島の朝市の火事の映像を見たときも、神戸の長田や東北の気仙沼に比べれば、こんな程度でよかったと思った。亡くなった人の数も、それほど多くないと感じた。つまり、全部、これまでの震災の被害と比べてしまっていたんです。
さらに、私は定期的に「NEWS23」(TBS)という報道番組にコメンテーターとして出ているのですが、1月31日の出演時、つまり「能登地震から明日で1カ月」というタイミングで、七尾市の和倉温泉が明日から営業再開というニュアンスで取り上げられていた。それで、もう能登は大丈夫だなと思いこんでしまった。
2月以降は、能登に関するニュースを見かけることも少なくなっていった。能登の話題よりも、国会議員の裏金が許せないという話の方が盛り上がっていました。
そんな状態で、6月に能登に行って、自分が何も知らなかったと気付かされました。能登地震の最大の特徴は、「隆起」です。海岸が隆起して、漁港が漁港じゃなくなった。道路では、マンホールが人の身長くらいまで上がった。こうなると、水道管の修復の困難さが東日本の陥没とは全く違ってくる。それなのに、復旧が遅いと責められていた。
渋谷 それを、「情報の罠」にはまっている、という言い方をされていましたね。
真山 いろんな記者にも聞きました。「先入観のなかで取材をして、先入観で書いていないか」と。彼らの答えは「震災取材の判断は、死んだ人の数です」というものでした。
和倉温泉での総理の発言も驚きでした。6月末の時点では、22軒の旅館の内営業できているのは1軒のみでしたが、7月に、当時の岸田総理は「能登エリアに泊まったら国が7割を補償する」と言ったんです。正確な情報が、官邸にさえ届いていない。能登半島地震の最大の被害は、情報の遮断じゃないかと思いました。
そうすると、小説家の出番なんです。なぜなら、情報が届いていないというのは、新聞記事では書きにくい。裏が取れないからです。実際は誰かのところで情報が止まってしまったのかもしれないし、聞いた総理が忘れてしまったのかもしれない。その事実を証明することはできません。
だけど、小説でなら、それが書ける。「ここでこんなに一生懸命に声を上げているのに、聞いてもらえなかった」と書くことができます。小説のよいところは、本当に起きたに違いないことを、端緒である情報を元に、裏付けなしで書けることです。

真山 無論、ファクトチェックはしますが、新聞記事やノンフィクションのような「裏取り」が、必須というわけではない。大事なのは、構図です。実在する誰かを傷つけずに、起こっていることを伝えるには、小説はとても役に立ちます。
そんなわけで、10月に連載が決まり、準備期間2カ月で書き始めました。普通ならあり得ないんですが、1月にスタートさせることに意味があると思ったんです。
渋谷 僕も読み始めていますが、4日目にして、もう地震が……
真山 今回の小説では、震災後の1年間を書きます。
ちょっとネタバレをすると、前作までの3冊、小野寺という関西弁の先生が主人公でした。阪神淡路で家族を失い、東北に応援教師として赴任していた。子どもたちに、頑張るな、もっと大人に文句を言えというような先生です。
彼が、教え子が女将をしている温泉にお正月に泊まりに来ていて、地震に遭います。もうすでに教師を辞めているのですが、能登に戻って来る。和倉をモデルにした架空の町に、奥能登から避難してきた子どもたちが集まる小学校を作り、その子どもたちを通じて、それぞれの出身地での問題を見せようと考えています。
今回、新聞連載を希望したのは、毎日発信したかったからです。小説は、被災地にも配達している北陸中日新聞だけではなく、中日新聞や東京新聞でも連載しています。
被災者ではない読者に、あなたたちはなにも知らない、と、毎日伝え続けたいと思った。普通はなかなかそんな要望は聞いてもらえないのですが、新聞社を説得し、関係者も共感してくれ、連載実現のために奔走してもらい、それが実を結んだという、奇跡的な経緯なんです。
渋谷 実は、僕も、2カ月でこの写真集を完成させました。10月の豪雨の後まで取材をしていて、1月の写真展の日程が決まっていたので、何とかギリギリ間に合わせましたが、体はもうボロボロです。
(次回へつづく 全6回)
渋谷敦志(しぶや・あつし)
1975年、大阪生まれ。フォトジャーナリスト。
立命館大学産業社会学部、英国London College of Printing卒業。
国境なき医師団日本主催1999年MSFフォトジャーナリスト賞、2005年視点賞・第30回記念特別賞、2021年笹本恒子写真賞などを受賞。
【構成●白鳥美子 放送作家・ライター、真山仁事務所スタッフ】