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対談

『能登を、結ぶ。』
渋谷敦志×真山仁
ギャラリートーク 02

真山 仁

渋谷 阪神淡路大震災のとき、真山さんは神戸にいて「死ぬかもしれない」と思ったそうですが、僕は、その時大阪の自宅にいました。大阪もものすごく揺れて、両親が趣味で飼育していた熱帯魚や金魚が水槽から飛び出したり、中には割れた水槽もあったりして、床にガラスが散らばり、そこで金魚がぴちぴち動いていたのを覚えています。

当時、僕は19歳で、戦場カメラマンになると決めていました。だから、震災から1カ月くらいたった頃に、カメラを持って神戸に向かいました。すごい写真を撮って認められたいという気持ちが先走ってて、被災地がどんなところかなんて考えてはいなかった。とにかく世に出たかった。

西宮までは原付バイクで、そこから神戸方面に歩きました。どこまで行ったかは覚えていないけど、すごい光景に圧倒されて、カメラなんて出せなかった。結局、ひとりにも声をかけられず、誰とも目も合わせられずに、暗くなって家に帰りました。あの時の、撮れなかった悔しさ、何もしなかった後ろめたさが、その後の写真を続ける原動力になっています。

真山さんとは形は違うが、僕もずっと震災を撮り続けているのは、阪神淡路での経験があるからです。出会ったのはたまたまでしたが、実は真山さんとは震災という共通項があった。

渋谷敦志さん【2025年1月10日(金)於:Nine Gallery】

真山 渋谷さんは、変わったカメラマンで、人が見ていない現場を撮りたいという思いはあまりなくて、そういう意味ではジャーナリストではないかもしれない。彼が追いかけているのは、出会った人。その人と話して響くと、のめり込んでいく。本来、そういうのは、カメラではなくペンを持つ人がやることです。

記者は、この人と決めたら、長い時間をかけてずっと追いかけますが、カメラマンは、その場で写真を撮ったら、次へ行きましょうとなるものなんです。だけど、渋谷さんは、東北でもそうだったけど、ずっと同じところに、同じ人に会いに行く。ずっと撮り続ける。
だけど、今の話を聞くと、最初はすぐに帰るつもりだったんですね。

渋谷 1回きりの仕事として終わるはずだったんですけど、終われなかった。直感としかいえませんが、この人(=ハナコさん)には何かある、賭けてみようと思ったんです。
(次回へつづく 全6回)



渋谷敦志(しぶや・あつし)
1975年、大阪生まれ。フォトジャーナリスト。
立命館大学産業社会学部、英国London College of Printing卒業。
国境なき医師団日本主催1999年MSFフォトジャーナリスト賞、2005年視点賞・第30回記念特別賞、2021年笹本恒子写真賞などを受賞。


【構成●白鳥美子 放送作家・ライター、真山仁事務所スタッフ】

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