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対談

『能登を、結ぶ。』
渋谷敦志×真山仁
ギャラリートーク 01

真山 仁

20年来の付き合いである写真家・渋谷敦志さんから、昨年11月、久しぶりに真山に連絡が入った。
「フェイスブックで、能登に行かれているのを見ました。実は僕も能登に通っております。12月に写真集を刊行し、1月7日からは外苑前で写真展もやります。トークイベントに、真山さんをお招きしたい」。
ちょうどその頃、真山自身も、能登半島地震をテーマにした小説『ここにいるよ』の年明けからの新聞連載スタートを控え、準備を進めていた。――それぞれの能登への視線、想い、向き合い方。存分に語り合った当日の記録を6回に分けてお届けする。

【2025年1月10日(金)於:Nine Gallery】

渋谷 真山さんと初めて出会ったのは、2003年。小説家・真山仁が誕生する直前でした。真山さんと言えば、代表作『ハゲタカ』が有名ですが、震災をテーマにした小説も書かれています。

真山 少し背景を説明すると、私は1995年の阪神淡路大震災を経験しています。自宅は震源地から10キロしか離れていない7階建てのマンションの1階。40キロ離れたマンションで1階が全部潰れた例もあるので、普通に考えれば、死んでいてもおかしくなかった。

実際、ものすごい揺れで、その最中は「死ぬだろう」と思った。小説家になりたくてずっと頑張ってきて、いろんな賞に応募して選考に残り始めた頃だった。あと少しで小説家になれそうなのに、こんな死に方をするのか。神様なんて信じてないが、その時は、「神様、出てこい。人がこんなに苦労してきたのに、ここで殺すのか」と本気で腹を立てました。だが、このときの地震は活断層地震で、たまたま自宅から東にずれていた。そのおかげで、結果的には植木鉢が一つ壊れただけで済んだ。当時は、家族を守ることが最優先。大阪に避難しました。

その後、長い間、被災経験があることを明かさなかった。大切な人を失ったわけでもなく、家が壊れたわけでもないのに、被災者を名乗るのはおこがましい。ただ、生き残った者としての後ろめたさをずっと抱え続けた。

2004年に『ハゲタカ』で小説家デビューを果たし、2007年にはNHKのドラマになって、知名度も上がり始めた。そのおかげで、「次はどんなテーマで書きますか」と出版社から聞いてもらえるようになったとき、震災の小説を書きたいと思った。生き残った後ろめたさを小説家として書かなければならないと思った。だけど、被災していることを初めて明かして、その思いを伝えたところ、どの編集者も「いい話だと思うが、よそでやってください」と言った。ずっとやれないまま、2011年を迎えました。

渋谷 2011年の東日本大震災が、その状況を変えることになったんですか?

真山 「95年の震災を経験したんですよね。東日本の応援の小説を書きませんか」という依頼がきました。震災を経験した作家だけを集めて、オリジナルの短編の雑誌を作るという企画でした。私がその時お願いしたのは、本になるまで書かせて欲しいということ、そして、「頑張ろう」とか「つながろう」なんてことは書かない。それよりも、甘えるなって書いてもいいなら、やりたい、と。

渋谷 励ますのではなく、むしろ厳しい目を向けようということですか。

真山 応援は、される方にとってはプレッシャーになる。頑張れと言われても、もうすでにみんな頑張っている。

実は小説には特殊なルールがあって、経験者だけは、ネガティブな領域に踏み込める。だから、私は、被災した人間として言わせてもらおうと思った。メディアの取材の仕方がおかしい、避難所で、ずっと助けを待っているだけなのもおかしい……。

渋谷 ある意味、自分のポジションを利用したわけですね。

真山 そうやって書いたのが震災三部作と呼ばれる『そして、星の輝く夜がくる』『海は見えるか』『それでも、陽は昇る』ですが、まったく売れなかった(笑)。それだけでなく、今まで『ハゲタカ』を書いてきたのに、急にハートウォーミングな小説を書くなんて偽善者だとまで言われました。

でも、私にとっては、すごく大事な作品です。実は、渋谷さんは、そのうちの一冊『それでも、陽は昇る』の文庫本の解説を書いてくれました。そして、今回、『ここにいるよ』の連載が決まったすぐ後に、このトークショーの話があったというのも、不思議なタイミングでした。

渋谷 まだ情報解禁前で、僕は知らなかった。年末に今回の写真集が完成して、まずは能登の人に届けたくて、100冊を持って能登を走ったのですが、それを北國新聞が取材してくれて、その記事が掲載された新聞を買いに行ったら、その横にあった別の新聞(※北陸中日新聞)の1面に真山さんの「新連載始まる」という記事が出ていた。「そうか、やるんか」と思って、すごいご縁を感じました。
(次回へつづく 全6回)


渋谷敦志(しぶや・あつし)
1975年、大阪生まれ。フォトジャーナリスト。
立命館大学産業社会学部、英国London College of Printing卒業。
国境なき医師団日本主催1999年MSFフォトジャーナリスト賞、2005年視点賞・第30回記念特別賞、2021年笹本恒子写真賞などを受賞。


【構成●白鳥美子 放送作家・ライター、真山仁事務所スタッフ】

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