真山メディア
EAGLE’s ANGLE, BEE’s ANGLE

テーマタグ

発言

『正しさを疑え!』第25回
能登半島で起きていること

真山 仁

2024年は、能登半島の地震で始まった。
1年を始める大切な元旦の震災は、日本中にショックを与えた。何より、能登半島で暮らす人にとって、余りにも残酷な「禍」だった。

私自身が、1995年に阪神・淡路大震災を被災した経験もあって、小説家として被災地で起きていることをどう捉え、何を非被災地に伝えるべきかを考えてきた。
東日本大震災では、何度も被災地を訪れ、3つの連作短編集を発表した。いずれもメディアでは伝えにくい問題を題材にし、深刻なテーマでも逃げずに被災者の心情に分け入ろうと努めてきた。

それは、単純な応援でもなければ、励ましでもない。時に深刻な現実を提示し、その問題とどう向かうべきなのかを問うてきた。とりわけ生き残った人たちが、震災をどう受け入れ、乗り越えていくかについて、小説という手法で描いてきた。

だが、震災と正面から向き合い続けるのは余りにも辛く、また、どこまで社会に声を届けられたのかも分からないという自らの非力さを、思い知らされることが多かった。当初は、発災から毎年、東日本の被災地での出来事を書き続けて行こうと始めたのだが、結果的に震災から11年目に発表した『それでも陽は昇る』(2021年)を最後に、執筆を止めた。

そんな中で発生した能登半島地震を、メディアを介して遠巻きに見ていた。コメントもほとんどせずにいたのは、背を向けたからではない。
今回の地震の大きな特徴なのだが、正確かつ継続的な情報が入りにくかったのだ。
能登半島で何が起きているのか、どんな問題があるのか、従来の震災の経験が生かされ、復旧は進んでいるのか――。

今後の課題と、震災を乗り越えて目指すべき復興を考える材料が不足していたのだ。
ならば、自ら足を運べばいいのだが、私が及び腰だったのは、事実だ。
だが、様々な巡り合わせがあり、遂に6月13日、14日と能登半島を訪れる機会を得た。
そして、元日からこれまでに能登半島で起きたことを知らずにいたと痛感した。さらに、半年を経たにもかかわらず山積している問題の一端を知ることになった。

被災地の対応に、正解はない。
重要なのは、何が起きたのか、そして、今何が問題なのかを知らせるための情報発信だ。それが、あまりにも中途半端で、多くの人は「もう落ち着いたんだろう」と思い込んでいる。
無力で非力でもやらなければならないことがある――。
遅まきながら、能登半島に通うことを決めた。

あわせて読みたい

ページトップ