真山 渋谷さんの写真を見てもらうと分かりますが、人物の表情がすごくいい。どの写真も全部、言葉を持っている。それが渋谷さんらしさで、そういう意味では、逆に対象に縛られている感じもしますよね。
渋谷 そうですね。自分でやっている感じはなくて、受動的にやっていたら、どんどん出来上がっていく。
真山 しかも、しつこい(笑)。
渋谷 ですよね。向こうにもそう思われているんでしょうね(笑)。

真山 いや、向こうは嬉しいと思いますよ。
ただ、私は、よく飽きないなと思う。変な意味じゃなくて、だんだん変化がなくなっていくと、取材に行っても聞くことがなくなっていくでしょう。最後には世間話みたいになって、それはお互いに大事な時間の無駄遣いだと思うんだけど、渋谷さんは、それを全然気にしない。言葉じゃない何かが伝わっていて、3カ月空いたら、その3カ月分を、ちゃんと吸収している。
渋谷さんは、ジャーナリストというより、魂の人ですよね。
渋谷 それでも、ジャーナリズムの心をどこかでもってはいたいので、真山さんの本を読んだりしています。僕は写真家であるけれど、ジャーナリストでもありたいので、ジャーナリズムを忘れたくはないです。
それで思い出しましたが、昔、真山さんと一緒に中国取材に行ったとき、真山さんの事務所の女性スタッフが同行していて、僕らが普通なら撮影NGで、下手したらつかまりかねないようなところにまで入り込んで写真を撮っているのを見て、「人として、あんな取材をして、どう落とし前つけるんですか」と詰められたことがありました。あの言葉を、僕は忘れられません。
真山 貧民街みたいなところにも、2人でどんどん入って行ったりしたのを、プライバシーを考えていない、人権を無視していると責められた。
渋谷 ちょっと調子に乗っていたかもしれません。真山さんと一緒で張り切り過ぎたというか、「ええとこ見せたい!」という気持ちもあったかもしれない。
真山 あれぐらいは、やりますよ。そもそも取材は、目的をもってするもんじゃない。話を聞いて、人に伝えたいと思えば伝えるし、そうじゃなければ、その話は捨てる。たくさん取材をして積み上げていくことに意味がある。だけど、人としてカスみたいに言われたんだよね。
渋谷 客観的にはそう見える行動を僕はしていた。たとえば、能登でも東日本でも、家族を亡くしている人の心の中に土足で入り込んで写真を撮るというのは、まともな人間のやることではないのに、それをやってしまっている。やったはいいけど、それをどうすんねん?という話。ハナコさんを撮って、どうする?
そう考えると、やっぱり何かを僕は返していかないといけない。まずは、撮らせてくれた人に対して、それから、写真を見てくれた人たちに対して。それがジャーナリズムだと思う。
真山 うちの事務所には大学生のバイトがたくさんいて、中にはジャーナリストになりたいという学生もいる。以前、そのひとりに、中国取材に同行した彼女はこう言いました。「ジャーナリストって人間じゃないって分かってる?」「その覚悟あるの?」――結局、その学生は職業の選択を変えることになった。
確かに、私の知っているジャーナリストは、平然とシビアな取材をするし、私もさせられたことが何度もある。こんなところによく行けるよなというところにも行く。でも、これは好奇心だけじゃない。ジャーナリストとしての使命感です。
渋谷さんもそうだけど、震災が起こってすぐに赤十字の仕事で現地に入ることは、特別なことなのだから、入った以上は、伝えるという義務を果たさなければならない。新聞記者もそうで、一般の人が入れない被災地に入って悲惨な話を聞くのは、大変ですねって慰めるためじゃない。手をつないでいたはずの孫を津波にさらわれて失ってしまったおじいさんや、隣に寝ていた姉を失って、自分が死ねばよかったと泣く妹に取材するのは、それを伝えることで災害の残酷さをわかってもらうためです。ジャーナリストとして特別扱いされている以上、ちゃんとやるべきことをやらないといけない。
(次回へつづく 全6回)
渋谷敦志(しぶや・あつし)
1975年、大阪生まれ。フォトジャーナリスト。
立命館大学産業社会学部、英国London College of Printing卒業。
国境なき医師団日本主催1999年MSFフォトジャーナリスト賞、2005年視点賞・第30回記念特別賞、2021年笹本恒子写真賞などを受賞。
【構成●白鳥美子 放送作家・ライター、真山仁事務所スタッフ】